2009年11月26日(木)哺乳類

また日記をサボってサボってやばいぞ1年になってしまう、、という今日このごろ、病気か?などと言われて心配されてたのだが、病気ではなく男子を産んで子育てしていたのである。産んでみるまでまったく無知であったが母業というのはかなり大変なのであった。日記どころか顔洗うのもままならぬなぞ知らなかった。急激に世の母達を尊敬し巷の子育て終了熟年女性は偉大なる大先輩に見え、まるで私が現代音楽からいきなりMacで打ち込みした時、巷の打ち込み君達が全員師匠に見えたあの頃のようだ。Kさんから産んだばかりの産院にたまたま電話があって「あら宇宙人じゃなかったわけ、、」とか言われたのだが、そう、私も哺乳類だった。そればかりか赤ちゃん産んだとたんに私は人生裏街道からいきなり陽の光を真っ正面から浴びて良しなメジャー街道ど真ん中な母になった訳で最初はかなりうろたえた。私が必死に血と肉を削って作ってきたと思われた音楽はここまで賞賛された事などなかったのに赤ちゃんは大絶賛され、見知らぬ道行く人から微笑みかけられ御近所の方々、子供達からまで声をかけていただける。誰からも賞賛されるものを作るとこんなに気持ちいいものなのかよ、、と、じーんとしつつ、あらためて人類人口大過ぎとはいえ子孫繁栄を皆望んでいるのかと思い知った。

産んでからよく言われるのが「作風変わるでしょ」だ。期待して作ってみたが結局鶴の機織りで、いきなり洞窟の中で一筋の光を求める気分になってしまうから驚きだ。そう簡単には作風は変わらぬのかなあ、とややがっかりもしたが所詮三つ子の魂そんなものだろう。(最近CMをいくつか手掛けたがその中で今流れているTBCのCMはBBSにも書いたが私が歌も歌っているので小耳に挟んだら作風うんぬんお知らせしていただきたい)
と。ようやく子も米とか芋とか食べ始めていっぱしのウンコするようになったのでやっぱ同じ人間かあ、、と。今のうち耳とかついた帽子とかかぶせてペット化していずれ「うるせえくそばばあ」とか言われた時に「あの時は可愛かった、、」と耐えられるようにしておくぞ、と。

2008年7月16日(水)ワイヤー鉄骨づくり

最近ずっと観察しているのが庭のかやの木にあるカラスの巣だ。
カラスといえば御近所含めわたしも決して好きではないやっかいな鳥だ。そんなカラス夫婦がせっせと枝を集めワイヤーのハンガーでしっかり強固につくった巣に、雨の日も離れず卵を暖めた成果あってなんとも灰色っぽい無気味なヒナがかえった。それからしばらく激しくえさやりの日々が続き「うるさいなー」「こまったなー、また増えちゃった、、」くらいに思ってみていたある日、御近所の奥様が「あの、お隣に(人間の)お子さんが生まれるんで危険ですからカラスの巣を撤去してほしいと大家さんにいってもらえませんか?」と訴えがきた。
その大家さんはかなりの個性強い90歳のおばあさんなのだがただいま世界一周クルーズの旅に出ておりお留守なのだ。
不思議な事に、心に閃いた言葉は「何を勝手な、、自分らの子供の為なら他の家族は破壊していいってのか」と。。まあしかし口にした言葉は「まったく本当に危険ですしなんとかしなきゃいけないんですぐに区に問い合わせますが、オーナー不在なので帰ってくるまで無理かもしれません」とやんわり味方なフリをした。本当に問い合わせると「カラスといえども危害がなかったら鳥獣保護法により巣は撤去できない」そうだ。
しめしめ。。。合法!
それから子ガラスは黒くなりパサパサはばたくようになりいよいよ巣立ちも近そうだ。
「いや〜がんばれよ〜、わたしが守るぞ!」とすっかりわたしは応援派になってしまった。カラスといえども必死に餌を与えそれを受け成長していく姿は愛らしい。
しかしながらそのカラスを見るたびに昔、敏腕プロデューサーに言われた言葉が脳裏をよぎる。「まずは世間から嫌われて汚れてから残るヤツは大物になるんだぞー」と。。
その言葉は例えば音程をパソコンとかでなおしてしまおう、、とか思う時にもよぎる。
「このなんか気になるひっかかりが心にもひっかかるんじゃあ、、、」と思いとどまったりする。
美しく可愛いものだけが愛されがちだが、おそらく本当に心にひっかかるのは「なんだ、これ?」とか「え、、、まさかアレが??」とかそういうものかもしれない。
と、ふむふむ、、と今日もまた巣を見ながら茶をすするのであった、ぞ、と。

2008年5月29日(木)ライプツィヒアカペラフェスティバル

ドイツのライプツィヒを中心にプラネタとコンサートのツアーに同行してきた。
ドイツといえばジャーマンテクノに憧れクラフトワークを崇め、ベルリンやハノーファーで全身ゴム着て機材やボコーダー担いでコンサートして回った地であったのだが、そのころの印象と今回のライプツィヒでのドイツはまるで別の印象であった。
なんともおだやかな伝統的なクラシックが根付いている地なのだなあとそこかしこで感じる事ができたのだ。なんといってもトーマス教会でバッハの墓参りができ、ずっとパイプオルガンを習っていた私としてはなんとも感慨深いものがあった。
さて今回はプラネタがアカペラフェスティバルに出演したのであったが各国からも素晴らしいグループがたくさん出演した。「club for five」というフィンランドのグループはかなりアクロバティックでエフェクターを多様して声だけで完全なポップスバンドを作りあげていたのにも驚いたのだが、やはり圧巻は地元の「Ensemble Amarcord」の完璧なハーモニーであった。このグループはトーマス教会の合唱団出身の男性5人の正統派アカペラグループなのだが、とにかく「ハーモニーというのはこういう事を言うのか!」とただ普通のコードを鳴らすだけでも美しすぎてびっくり仰天してしまうのだ。ものすごく小さな声で繊細にハモるのだがその一糸乱れぬ演奏こそが私が必死に勉強してきたあの和声の本質なのか、と今になってようやく理解できたような気がした。平均率ではないどこまでも倍音が毎度響くコーラス聴いたのは初体験であった。なんだあれならアレンジなんかいらないや、、とあっさり反省してしまった。
さていろいろビビりつつもプラネタは毎度スタンディングオベーションの嵐でとても評判が良く、とても嬉しかった。ほんと良く歌ったぞなあ。。と、メンバー全員気合いも歌も素晴らしかった。気迫ではどのグループより勝ってたように思う。日本人を見ると「武士道」とかすぐ言う人が多いのだが私が彼女らの背中に刀を感じてしまった。。。
すべてのコンサートはマイクレスの生声での演奏に挑戦したのだが、日本でも教会を借りて残響によってどう演奏するかいろいろ試したりしたものの実際の会場でもやはり微調整が必要でクラシックとは演奏するホールごと含めてできあがるのだなあ、。と深く感じた。しかしながらゲヴァントハウスはやはりとても素晴らしいホールで小さな声の表情もとてもダイレクトに伝わりびっくりした。今後は可能であれば積極的にマイクレスで演奏したいと感じた。
という訳で建築物も音楽の重要な要素である。という事と、ハーモニーの奥深さと、やはり日本人として音楽を作っているんだなあという事を考えさせられた旅であったぞ、と。

 

2008年4月2日(水)そこにシワがあるから

私が嫌いな行動の中のひとつにアイロンがけというものがある。
小学校の時なぜ作業服であろう給食のエプロンに当番終了後家で洗ってアイロンをかけて持って行かねばならぬのか理解に苦しんだ。体育着であるジャージに名前を書いたでかい四角いワッペンを白い布で縫い付けてあるのだが、あれもみんなきちんとアイロンがけしてた。たかが作業服やジャージのわっぺんにアイロンなんて無駄でアホらしく封建的な気がして絶対にシワシワのままで持っていったもんだ。ハンカチとかビシっとアイロンかけていつも畳んで持ち歩く女子も男子もどうも好きでは無かった。単なる汗拭きになぜアイロンと思っていたのだ。いまだにもらったポケットティッシュですべてをすまそうとしている。まあそんな訳でアイロンとは無縁に生活をしてきた訳だ。
だが、アイロン掛けを滝に打たれながらとか断がい絶壁の上でとか競輪中にとか、、海深くとかありえない極限状態で掛けるスポーツ「エクストリームアイロニング」という世界競技があると知り急にアイロン掛けセットが欲しくなった。
そんなにおもしろいのか、、、と。そこまでして掛けたいのか、、と。
http://www.exironingjapan.com/photo/index.html
アレンジでもなんでも「あのだれもが知っている有名曲をあんなに、、、」みたいのに燃える訳でおそらくアイロン掛けというあまりにインドアでメジャーな行為をアウトドアの極限状態でやるというのに燃えるのであろう。

なんやら仲間意識が芽生え早速今日アマゾンでアイロン掛けセットを買ったのであった、ぞ、と。

2008年1月7日(月)夢

毎年初夢というのに妙に気合いが入る。しかしながら2日見る夢が初夢だとかいろいろな説があるので実際はどれが初夢だかわからぬ。今年は記憶している夢の中で初めてのものがあまりに強烈だった。
私の両側の腰にいつのまにか雑草のようなものが根付きしっかり育っているのだが面倒なのでそのままにして生活をしているのだ。そんな寄生は一般的な事らしく私もそれを気にしていないのだがだんだん育ちすぎてきたので試しに左側をゾゾーっと引っ張ると根ごとゾロリ〜っと白い液のような汁をぽたぽたたらしながら気持ちよく抜けた。いや〜すっきりしたなあ。と夢の中なのに便秘解消のような爽快感がある。じゃあ右も後で抜こうっと、、と、、とかそういう夢なのだ。そしてみんなに「この植物は結構根付きやすいよ、」とか多肉植物らしいモノを指差し、ブチっと折り断片を時分の腕とかに乗せ、「ほらほら、もう根がでてきた」とか人体での増殖に自らいそしんでいるのだ。
確かに小学生の頃「挿し木」を授業で習ってからそこら中の植木を折ってみては根の出方を見るのが趣味化していたときがある。弟はもっと無差別だった。犬の毛をごっそり抜き土を入れた植木鉢に挿し、毎日水をやり続けていた。そして夏休みの課題としてせっせと「成長記録」をつけていた。もちろん成長しないのだがあんなにもきちんと水やりをしていると育ちそうな勢いはあった。

というわけで今年のこの初夢というか記憶する夢から学ぶ事は「変な掛け合わせを体を張ってすべし、、」という事なのであろう。

そこらじゅうにあるものを折って脳内に挿してみるぞ、と。

2007年11月15日(水)冒涜

日記をしばらくサボったら「生きてる?大丈夫か?」と良く聞かれる。 ふと日記を見たら夏のがあこカラス以来だ、、これはヤバイ。書きたい 事は山のようにあるのだが、、、。また鳥ネタにしてしまおう。。
さて、
今日も素晴らしい晴天だ。こんな日に閉め切った密室の防音部屋での作業は神 への冒涜だ、、とか言い訳しつつリビングで休憩しようと南の窓を開け たとたん、二羽のメジロがバサバサ!っと侵入しドサっと部屋の壁にぶ つかりほぼ同時に脳しんとう起こして部屋の中で同じ方向を向いて同じ ポーズでアワアワしはじめた。以前も一羽ぶつかりベランダに落ち即死、そ の後すぐに後追うようにも一羽も激突死。二羽を泣く泣く埋葬した事 がある。
しかしなぜいつも二羽なのだろう?今日もまるっきり同じ方向同じポー ズしている二羽を見ながらコイツらがツガイだとするとどうせなら一緒 にオダブツなほうが幸せなのかなあ、、いやぁ絆かよ、絆、、、とじ〜 んとしてしまった。窓ガラスにぶつかるほど頭悪いくせにツガイは何か 脳が繋がっているかのようだ。「一寸の虫にも五分の魂、バカなメジロにも夫婦の絆、、、、」
と、じーんとしているのもつかの間一羽が復活しベチョっと糞して飛び 立ち無事脱出。もう一羽もまた同じように糞してしばし部屋をバシバシぶつかりな がらも徘徊した後に脱出。せっかくのムードもぶちこわされ、糞を掃除してまた密室での作業に戻るのであった。まったく私への冒涜だぞ、と

2007年7月3日(火)ガアコカラス

最近毎朝4時前くらいから激しく鳴くカラスに起こされ寝不足でかなり迷惑している。しかも「グワっぐわわ!」とまるでアヒルのように鳴くので「あれ?ここ沼だっけ。。」と起きるとそのガアコカラス(勝手に名付けた)だ。鳥はまず生まれてすぐそばにいる親たちの鳴き方を学び、独立して他の地域に行くとその地域でまたそのなわばりの仲間の鳴き方を学んで仲間入りするという。おそらくそのガアコカラスは本当に沼とかで生まれアヒルを親と思い育ってしまったのかもしれぬ。しかし大人になってみれば白鳥ではなくカラスではかなりブラックな結末だ。「ぅ、、私はアヒルでも白鳥でもないんだわ!、、」とか悟り1羽たどり着いたのがウチの前とかなのか、当然そんなおかしな鳴き方をするカラスはどこにもいず、いつでも1羽で狂ったようにグワグワグ鳴き続けている。あんなに鳴いたら疲れて死ぬンじゃあ、、と、朝おきて庭にドサっとガアコの死体があって静寂と熟睡を得られる快感を妄想しつつ、やっぱり孤独なガアコが哀れであった。異端は孤独である。

が、やれば成果がでるものである。ある朝、一段とうるさくバサバサグワグワガガっっがゎわ!!っと。なんとガアコ軍団になって大騒ぎして眠れるどこでは無くなった。生まれ故郷の沼仲間が噂を聞いてやってきたのか、念じれば叶うのか。これには驚いた。異端も複数になると強い。今までジっと1羽でひとつの場所でグワグワないていたのがガアコ軍団でどうやら近隣を遠征している。

というわけで、なんだかメデタシメデタシ、、なのかよくわからんが、とにかく夜はできるだけ早く寝ないと朝恐ろしい沼気分を味わうハメになってしまった、ぞ。と。

2007年6月26日(火)ピアノ

midi症候群とでも言うのだろうか。ある時から鍵盤なんてmidiセンサーくらいなものさ、と割り切っ てピアノを引っ越しととも手放して生活してピアノの事なんてまるで 忘れてたかのようだった。。何年そうしてただろう。

が、なぜかピアノが妙に弾きたくてピアノが置けるところへ引っ越したもの の、なかなかピアノを選ぶのが難しく一目惚れできようなピアノにも 出会わず半年が過ぎてしまった。しょうがなく実家から浪人時代から使ってたアップライトを運び込み、 その時代からずっと調律してくれているひとにわざわざ群馬から来 てもらい調律してもらい、いざ弾いてみるとびっくりするものだ。ああ、このここの鍵盤弾くとちょっとキンってあそこらへんが共鳴して たなあ。。とか。高いラだけ響きがちょっと違うんだよな、、とか急激 に思い出してくるのだ。体の一部のような記憶だ。まったくもってこんな記憶が自分の中に染み付いてたとは驚きだ。
なんせ、小さい頃ピアノの練習が嫌で嫌で、しかしサボると母が体罰で その頃大嫌いな長ネギを朝ご飯前に生で食べさせられたものだった。20分以上弾くと朝ご飯はお茶菓子付き。弾かないと長ネギ5cm、10分以下 だと1cmとあからさまで凄かった。
しかしながらそこまでやられてもピアノがまるで嫌いだった訳ではない。母が留守、なおかつ雷ドシャブリだと母にも近所にも聴かれる事がないから思 う存分即興でピアノが弾けてついでに怒鳴り歌まで付けてウヒョウヒョ 楽しかったものだ。。。。

演奏とは楽しいもんだ。その場で誰の為にでも無くただ完結してしまい時間と共に流れ去っていくだけの音楽は心地よい。
失った感覚をもう一度得たときようやくその喜びがわかるものなんだろうなあと感慨にふけりつつ調律したてのピアノをひさびさ弾いたのであったぞ、と。

2007年6月6日(水)ベルちゃん

エキセントリックオペラの1枚目のアルバムの「カルメン」でフレンチラップをしてくれてたベルちゃんというコートジボアール人がいた。一緒に最初に作ったPVも出演してくれた。コートジボアール人なので英語圏ではなくフレンチだったため「やっぱ黒人は英語のほうがモテるよ〜」と駅前のノバにせっせと通っていた。。日本語はペラペラでいつでも北斗の拳を愛読してたベルちゃんだが、お笑いタレントを目指していたのにイイ線までいってでコートジボアールに帰らなくてはならなくなり残念だねえ、、といいながらお別れして、もう何年もたつ。すっかり申し訳ないが忘れかけてた。
が、、、テレビから「完全にマスオさんで2児のパパである、、」
とか聞こえてきた格闘技の番組で「ベルナールアッカKO!!KO!!です!!!!」と。。うるさいのでふと見たらなんと、あのベルちゃんだった。。
いやあ、ひさびさ嬉しかった。
おおおベルちゃん!勝ったぜ!というか格闘家になってたのかよ!、、と。
どうやら塩コショーというお笑いユニットでも活躍しているようである。
あれだけ北斗の拳読んでたし相当好きなんだったのだろう、好きな事を好きなまま極めていくといのはできそうでできない事だ。
私なんて作って歌ってミックスするくらいじゃあ別段たいした異業でもないから驚く事もないのに、笑わせて闘ってるベルちゃんはたいしたものだぞ、と。

 

2007年5月7日(月)カワイイに吠える

私はかなりの犬好きである。そして特に日本犬が好きで長年一緒に暮らしていた紀州犬には思い入れが深く一番好きな犬は紀州犬だと間違い無く思っていた。そんな私であるから富士山麓でMの留守中にM家の犬である紀州犬と一対一で留守番するのはたやすい事であったので軽くひきうけた。M家の紀州犬はかなり気性が荒い。電気工事人を嚼んでしまったとかいろいろな噂を聞いていたのでじわりじわり仲良しになろうと思ったがついつい大好きな紀州犬なのでちょっと気を許して近付いた途端に右腕の脇の下をガブリと嚼まれた。幸いセーターを着てたので深い傷にはならなかったが慌てた私はウワ!っとビビって足下にあった巨大な切り株にダイブしてしまった。派手なリアクションに犬も驚いて大惨事はまぬがれたが、私は全身打撲であまりの痛さに自分は犬にやられて死んだかと思った。まったくもって動物に襲われるというのは怖い体験である。「これが自然の中で人間が生きて行くという事かあ〜〜」という感じである。こんなにも怖いならやはり夜寝る時はケモノに襲われぬよう火を絶やさぬようにするだろうし、文明は夜を明るくする事から始まるだろう、、などとうすぼんやり思いつつ、犬を見ると意外と憎めずかわいい。う〜ん、、こうやってカワイイ女に嚼まれても懲りずに世の多くのオヤジはまた騙されるというハメになるのであろう。。。とか思っていたらM一家が帰宅したので私も懲りずに嚼まれた犬と一緒に散歩に出た。しばらく行くと急に異常に紀州犬が吠え出したのでその先に何があるのか、、と近寄ってみると、なんと!この世にこんなにもカワイイ犬がいるのか!!!と思うほどのめちゃカワイイ柴犬の子犬が繋がれていた。即効私はこの柴犬に心を奪われてしまった。う〜ん、、世の中の女どもが張り合ってカワイイを競う訳である。自分よかカワイイ女には吠える訳である。そしてやはりアッと言う間に嚼む紀州犬よりまだ嚼まれていないカワイイほうへ心はササっと移るのである。。誕生日を過ぎ犬に嚼まれ、カワイイで勝負したってタカダカのもんさ、、と、しみじみ傷に薬を塗るのであったぞ、と。

2007年4月25日(水)粘菌クオンタイズ

最近レーザーで視力回復して快適に過ごしている知り合いがかなり増えた。なにを隠そう新しもん好きの私はレーザー脱毛をかなりの巨額で初期に実施しているのだが、レーザーの価格破壊が進んだ今となっても目となると躊躇してしまっている。ところがレーザーではなくミドリムシの遺伝子をラットの目に注入し、「視力」を回復さ せることに東北大は成功したらしい。ミドリムシの光りに対する反応の応用だという。ゆくゆくは人間に応用していくらしい。う〜んミドリムシの遺伝子注入かあ。。
ミドリムシばかりではない。 粘菌もがんばっている。macがインテルになった時はちょっとショックだったが、粘菌を搭載するかもしれないのだ。「粘菌搭載G6発売!!」とかあるかもしれない。今盛んに研究が進んでいるのが「粘菌コンピューター」である。粘菌を情報処理の基本単位のトランジタの代用として使い、エサを求めて成長 する粘菌に光を当ててネバ〜〜っと変形したその形を出力とするらし い。まあ、良く言う「お前はなぜそんな頭のかたいコンピューターのような考えしかできんのかあ!」が解消され「あ〜〜これもいいし、あっちもいいかも」的な発想が柔軟にでき迷路を解いたりネットワークを構築 する機能も持つので、より人間「心」に近い発想ができるようになるそうだ。粘菌なクオンタイズをかけ「粘菌なノリ」のある音楽ができる日は近い。

目はミドリムシから、心は粘菌から、そうやってイイトコドリでせっせと進化し てきた結果が人間だ。人間もどこかしらにミリムシ時代の喜びとか覚えているのかもしれない。よくハエとかが光に向かって一心不乱に飛んでる姿を見て「迷いが無くていいなあ〜」と思ったりする。ミドリムシなんて「あ!光だ!」とかハエどころではない。それしか喜びも無い訳だし鞭毛を激しく動かし大喜びのはずだ。
今人間が 喜びと感じているものの何億倍もの単純な快感の記憶はどうしても消し去る事ができず、ああ〜これじゃない、もっとあるはずだ、、と求めて止 まない衝動こそ進化なのかもしれぬ。それこそいつになっても明確な答えの出ない「愛」とか「神」とか「音楽」とか「美」とか言っているそれこそがその時代の強烈な快感の記憶かもしれないぞ、と。

2007年4月16日(月)韓国公演

プラネタの韓国公演に同行してしてきた。「LGアートセンター」というホールではとても響きが自然で気持ちよくアンサンブルがとても綺麗に調和して素晴らしかった。やはりマイクやプリアンプも大切だが自然的要素は大事だなあ、とつくづく感じた。もちろんとても素直に反応してくれる聴衆が演奏を盛り上げた相乗効果もあるのであろう。日本ではクラシックなどのコンサートは御年配の方が多いのだが韓国でのプラネタのコンサートはほとんどが学生くらいでカップルとかで来て終わったあとみんなプラネタの真似とかして歌ったりしてた。以前香港でレクチャーをした時もほとんどが学生だったと思えばもっと日本でも若い世代に聴いて欲しいと感じた。
聴衆が癒しとか受け身体制だけではなく「ナニクソ、負かしてやる、いや、むしろオレタチのほうが面白いアレンジだしウマイぜ」という緊迫した中で本当にグっとキタ時の拍手をありがたく感じたいものだ。
アレンジした曲の大元の作曲家らはあの世だが私はまだせっかく生きている訳で、そういう意味で作家が生きてコンサートを客席から聴くというのは試練でもありまた面白いものだ、と韓国で思ったのであったぞ、と。

2007年4月7日(土)もみじ満開

これでは日記から月記になってついには季記になってしまう。そのサボっていた間、いろいろ刺激的な事件はあったものの、先月末の姿月あさとさんのコンサートで大勢の作曲の先生方と一緒にサントリーホールで生フルオケのアレンジをしたのはかなり刺激的だった。いつぞや、「カキアゲキネンオーケストラ」とかやってたものの、自分があの時は舞台にあがってた訳で、今回は完全な楽譜納品だ。大学の時の作曲科の提出以来だったかもしれぬ、、。せっかくなのでフィナーレという楽譜ソフトを勉強がてら使ってみたりした。が、他の先生方はなんと手書きがほとんどだった。大河ドラマや連ドラなど大量の作曲を手書きかあ、すげえなあ、と、いつのまにか自分がデジタル化、かつレコーディング現場主義になっていて楽譜に託す、、という作業を怠ってたなあ、、としみじみ反省したのである。まずは、五線をまっすぐ書く事から出直さねば。。

と、いうわけで。。
また日記を書く事にしよう。
さて、世の中あっという間に季節が変わる。最近どこへ行っても桜の話 でもちきりだった。なぜ日本人は桜がこんなにも好きなのか、それが知 りたい。その秘密はいきなりヒットしてボロ儲けできそうな秘密な気も する、、、そう思いながら今年はあのピンクのおびただしい花びらを斜 めからじっくり見たりした。
そんな桜と同時に私の家の前にあるモミジの葉も一斉に新緑になり、そ れはそれでかなり凄い緑色で輝き、こりゃ葉っぱとはいえ桜に負けてな いなあ、、と思いきや、なにやら赤い色の小さな糸のようなものが庭中 に落ちている。よ〜く見ればそのモミジから落ちているのだ。ぬぬぬっ とモミジに接近して見ればその小さな糸はモミジの赤い小さな花のようだ。これにはびっくりした。モミジ=紅葉=葉っぱ。としか認識が なかったからだ。「うちのモミジ満開だから見においでよ」とはこの桜 の時期に誰にも言えず、じっと誰からも知られぬモミジの花が散るのをしみ じみ見てたのである。春にドワっと咲いて誰からも愛される桜というより、本来枯れ際が一番見事なモミジのひっそりと咲いている花にどうも感情移入してしまう。 が、しかしだ。今私の部屋のベランダの鉢にはチビモミジだらけだ。雑 草と一緒に何本もチビモミジを抜いた。庭中モミジの種は発芽してチビモミジだらけになっているのだ。ヤツは結構繁殖力は強い。この地味な 赤い花は確実におびただしい種になってそらじゅうで芽吹く。
やはり御丁寧に植林して増える桜より自力で繁殖するモミジだぞ、と。

2007年1月25日(木)石井満隆

テレビのリモコンが誤動作するようになりチャンネルをいじってたらとどこかで見たことあるじいさんが 訳あり貧乏で紹介されてた。「銭金」という番組だ。じいさんは自然食 アドバイザーで築100年の山梨の廃屋に一人暮らしである。実はこの じいさん舞踏家で、、、という紹介で、「あれ?あのじいさんは、、ピーン、、、」とキタ。私 は最初のヨーロッパツアーでこの石井満隆さんと一緒であったのだ。今 から思えば他にもメルツバウや灰野敬二やらキャラの濃い人たちにが同 行してたためか石井さんは朗らかな好々爺という感じだったものの、パ フォーマンスの日となると大勢の客が訪れ、しかも「先生!」と呼んで 慕っているのには驚いた。舞踏というジャンルは日本発であり、しかも こういう石井さんのようなヒッピーのような人たちが単独などでヨー ローッパまわりとかして次第に広がったのである。日本発の最近の文化としたらアニメの前が舞踏であろう。舞踏とアニメでは随分と違うが。。私がヨーロッパ周り をしていた頃には日本よりあちらのほうが舞踏は盛んなのでは?と思う くらい白塗りの方々が大勢いた。「銭金」ではかなり貧乏で奔放な生活 ぶりで笑える紹介をされてた石井さんはアチラでは大先生、大師匠であ る。
今でも廃屋でそこいらの草をちぎっててんぷらにして食べたりしつつ舞踏中心に生活している大先生をメディアでみて、「暖房 の風が強いなあ」、、とか、、「これ賞味期限切れかなあ、、」とかコマイ事がよぎる自分がまだまだ甘い、、と思ったのであったであった、 ぞ、と。

2007年1月20日(土)超極楽収容所

年も明けだいぶたってしまった。
最近あまりに世間に疎い自分に気付きこのスピード情報過多の時代だからこそ新聞という毎朝ひとの足で運ばれる紙面を読む事にした。
と、、、目に入るのはバラバラ殺人やらなんやら恐ろしい事件ばかりである。
法律というものがあるから罰せられるものを事件として情報で流すのはしょうがないだろう。ふと賞賛する法律ってのもあれば紙面ももう少しなごめるのに、と思った。牢屋の変わりにスパでもレストランでも超豪華ホテル並み以上の極楽施設でも税金で作って程度によっては生き天国を味わえるってのはどうだろうか?
シャバに戻った時「げ。シャバの空気はマズイぜ。。またアソコに戻りテぇ〜」とか思ってせっせと善行を重ねるって世になるやもしれぬ。極刑の代わりになるような快楽の極みはなんだが想像つかぬが。。。こう考えると苦痛はある程度万人共通なのに快楽は千差万別であるのかもしれぬ。
とか、思いつつビーフシチューを作ろうとデカイ肉塊を買ってきて包丁でザクザク切ったのだがこれが知ってる人間のモノだったらなどと想像するとチョロっと出る血が物凄く怖くビビッってデカイまま煮てしまった。よく考えればお菓子の「ひよ子」ですら頭から食べるのはチト申し訳なく思うのが普通の感情だとすると人を切り刻むなんで超感情に至るというのは凄い事である。火事場のバカ力というが、そんな超エネルギーを人は持っていると思う。とっさに善に向かうか悪に向かうかはその場でコントロール不可かもしれないが、日頃善に向かう癖をつけておけばとっさのバカ力がいきなり悪には向かわないような気もする。
新聞、テレビ、その他の情報は比率を善に傾かせる必要があるのでは、、とひさびさに読んだ紙面を見て思ったのであったぞ、と。

2006年12月14日(木)ゴッホ

かなり日記をさぼってしまって、これでは月記になってしまう。。
さて言い訳ではないが、この期間中に本当怒濤のごとくせわしなくいろいろやっていた。その中にいくつか映像に対する音楽というのがあった。今どきというか普通映像は横の流れで必ず時間軸が音楽と映像が二本立てで制作してあるのでお互いがその時間を合わせて行くのが一苦労である。ところが珍しく静止画に対する音楽というものも今回手掛け、本来画像というか絵というものには横の時間軸というものはなかったんだよなあ、、と昔を思ったのであった。その絵というのはゴッホのあの有名な「ひまわり」なのだが、本当は一番好きな絵は「オヴェールの教会」という絵である。前橋の女子高を出てから即群馬の山にこもって作曲の修行の為一人暮らしを3年くらいしてたが、いつでもなぜかその「オヴェールの教会」の複製だけは必ず部屋に飾っての青い空とオレンジの教会の屋根の色の対比にうっとりしてた。見るとすぅ〜っと引き込まれて魂が浄化されるような色の対比だなあといつも思ってた。そしてついには現場まで赴き実際の教会をフランスで見て、さらにその教会の奥に広がる「カラスのいる麦畑」を見てゴッホ御本人の墓参りまでしてきたのである。良く思えば後にも先にも自分の血縁以外のひとの墓参りはゴッホ以外はした事がない。ばあちゃん、じいちゃん、ゴッホの順というのは凄いもんだ。教会を見て思ったのは「なんだただの教会だし、空もあんなじゃないじゃん、、」と。。よく考えればそれは当たり前の事なのだ。それは私が例えば目の前の男(誰でもよい)にラブソングを歌うようなもので、対象物への愛というより自分の自己の愛についての隠しだてのない暴露が結果として歌になる訳なのである。おそらく対象物というのは今の自分の魂が乗り移れる何かであればいいのだろう。ゴッホはその時はそこにあった教会に自分を乗り移らせたり、どうでもいい畑に乗り移ったりしてたように思う。まんまと対象物に乗り移れると本来の自分は抜け殻になるせいかかなり身軽で楽ちんになる。格別整った構図でもなんでもないそこいらの教会や畑に乗り移らざるを得なかった孤独が押し寄せて集約されるとあんな色になるのか。。とか思いつつひさびさオランダのゴッホ美術館でも行こうかなあ、、と思ったのであった、ぞ、と。

 

2006年11月11日(土)秋葉原

無事引っ越しもほぼ終わった。一番大変だったのがスタジオ移築だった。同じものを同じだけ運び接続するのだから大丈夫だろうと思いきや意外とケーブルや周辺機器がうまくサイズが合わずだったりしてしばし秋葉原に通った。いやいや、アキバを甘く見ていた。凄い混雑、凄い熱気なのだ。そして誰もが凄い。温暖な日だったとはいえ半そでで汗だく、黄緑色のタオルをわしづかみにしてノシノシ汗を拭きながら歩くのにビビっていたら隣にはダウンジャケットをびっしり着込んだ人が普通に汗もかかずにいる。私も大別すればコッチの仲間なのだろうがここまでアキバが進化すると私ですら違和感を覚えた。が、やっぱり部品はくまなく揃い爆弾だろうがなんだろうが組み立てられる気がしてくるから凄いもんだ。せっかくだからと主電源をレバー式のガシュン!と上に上げて電源を入れるようにしたりして無駄に楽しんだりしつつスタジオもできあがった。よく考えればおそらく東急ハンズでも同じものが揃うのかもしれぬが、アキバで揃えたという、変な自負がある。凄い街が日本にはあるものだ、とつくづくアキバエリアを脱してから思ったものだ。こんな街は世界でも唯一だろう。
本当に東京という街はエリアによってまるで別の顔をもつ。帰りがけに白金の通りを過ぎてみんなしてママがばっちり化粧して乳母車か犬を連れて歩いている変な図にも違和感を覚えつつ、かといって差程遠からずの私が通っているスポーツクラブは小太りのオヤジがマッサージプールに9.6割ひしめいている図は凄い。どちらかというとこっちのほうがホっとする。が、本当に似たオヤジだ。いったいどうやって皆、自分の生息場所を見つけだしそして似たもの同士が集うのか?もしくは環境がそれらをつくり出すのかなんなのか。
私は何処へいってもなんだかしっくりこないという事はどっか自分の馴染める生息場所にまだたどり着いた事がないのか否か。どこかあるのならそこへ同士と集ってみてみたいものだとアキバに行ってつくづく思ったのであった、ぞ、と。

2006年10月7日(土)ししおどし

再来週から香港にレクチャーを兼ねて行ってくる。その後引っ越しをする。もう引っ越すのだからという訳ではないがここの仕事場は渋谷の繁華街をちょっと抜けたあたりにある。たいてい車とかなら代々木公園のほうから移動するのだが、レコーディングでしばし電車通勤をした時毎度センター街の騒音の交差に参り、甘く見てたビル工事の振動にビビリ、静かな所へ引っ越そうと決意したのだ。物件をいくつかみて、静かでかなりのんびりした場所に決めホっとしてた。が、そんな昼下がり日曜美術館を何げに見てたら「アトリエ訪問特集」をちょうどやっていたので思わず、ぉぉぉ!と見て本当に感銘を受けた。例えば何年も前の画家のアトリエと現在のアトリエは何も変わらずただ画家のみが歳をとり車椅子で制作を続ける映像や、ホッタテ小屋のような所に隠って死ぬまで制作を続ける画家。階段を登り降り踊るようにしてた岡本太郎(この人だけ名前を覚えてる、、)。いや〜〜、わたしはなんとアマっちょろい引っ越しを考えていたのか??と、自分の甘さにショックを覚え、決めた物件を即キャンセルしてしまった。「吹き抜けが素敵、お風呂から星が見える」とかなんかロマンチックな物件をついつい決めてたのだ。う〜ん。やはりアトリエという気分で探さねば、、と、それから「作れそう、、」な物件ばかり探してみて、部屋に入った時「なんかだめげ」というのはなぜかわからないが排除した。で、やっと変な立地にあるテロ犯が潜伏しそうな物件に決めたのだ。
ストラビンスキーはサンルームのような所でないとあのリズムが書けなかったし、シェーンベルグは塔のような部屋で小さな高い窓からの光りでないとあの細いメロディーが書けなかったようだ。みんなそれぞれ建物に影響を受けるのかそれとも自分がそれを望むからそういう場所で創るのかは解らないがかなり影響大であろう。
今回、なぜか私の決め手は「和っぽい街で風の音がして暗闇がある」だった。すぐそばには昔の殿様の屋敷の一部が公園になっていて「げげ、、江戸はすげえ」と江戸時代はやっぱ凄いなあとしみじみし、まわりの家もなぜか庭に松やらなんやら和ぽい。もう当然のようになった「畳をフローリングに」「押し入れをクローゼットに」「街には便利なコンビニがいつでも明るくある」のが良しとされている今日このごろ松とか池とか庭とかそんな心を忘れかけていたような気がする。カッコイイイコール洋モノがなぜか普通になっているのだ。庭いじりですらガーデニングと言い換えなぜか玄関のアプローチには7人の小人の人形がラティスと共に花の中にいる。しかしどれもかれも「洋風」であって「洋」ではない。玄関に大理石のあやしいミロのビーナスもどきのあるマンションや超短いエンタシスの柱をエントランスの両端につくってしまうマンション。ここはラブホか、、と。(まあそれも楽しいし日本の捨て身の良さだが)これでいいのか?日本と感じてしまう。やはり私は「ししおどし」的で暗くて怖い「魔物」がいそうな感じがやっぱ妄想の肥やしと感じた。暗闇万歳だぞ、と。

2006年9月20日(水)マドンナ

マドンナの東京ドームコンサートに行った。本当に凄かった。マドンナが女性で、しかも自分より年上というのが心から誇りに思ったものだ。
かなりいい席だったものの汗が飛ぶような近さでもないしはっきり顔までは見えないのに、舞台にいるマドンナには輝きがあり、どこにいようとも凄いオーラが出ていて一発で美人!と思うのだから本物である。
舞台でやっている事はかなりマニアックで強烈なのにそれを大衆という所まで持って行く凄さこそ世界のトップスターだとつくづく感じた。今回のアルバムからすると80年代テイストでディスコのりのり調とおもいや別段それだけではなく、今カッコイイと思えるダンス、ファッション、映像、演出、すべてを凝縮したようなステージだった。ギター片手にしっとり歌う場面もあり、マドンナの奥の深さのようなものを感じた。
やはりきっといつでも誰に裏切られようとも音楽に助けられ生きてきたそんな背景が滲む人だ。
かなりじ〜んとしつつ、ひさびさに素晴らしい舞台を見た、と満足しつつも、ああ私はなんてちっぽけなんだと反省をかなりしつつ、しんみり帰りがけにさんま定食をTちゃんと食べ「ウマイ!」と、、ああ私は日本人だなあ、、と実感しつつ帰ってきたのであったぞ、と。

2006年9月11日(日)世田谷線

ちょっと用があって世田谷線というのに初めて乗ってみた。かなり衝撃だ。正確な時刻に動くバスのようなものかもしれない。一応電車の形っぽいのでチケット売り場を探してもどこにも無くみんな平然と待っている。思わず「チケットはないんですか?」と聞いたら「中で140円払うんですよ〜」と。。。中なのだ。スイカやメトロカードのように前払いではない。乗った後払いだ。一緒に乗ったMは「五円使えるのかなあ?」と懸念してたがなんてことはない五円でも1円でもちゃり〜んとさい銭箱のような運賃箱に入れれば使える。「おぉ、、五円もお金なのだ」と再認識した。そのまた昔私はピアノのレッスンにバスで通ってたが、ふとした道中の無駄使いから運賃が足りず、五円や1円をありったけじゃらじゃら払って走り逃げてた頃を思い出した。世田谷線でもヤル気ならヤレる。。。最近なんでもカードだからお金という実感がない。単なる数字だ。
ふとちんちん電車に乗りつつ、作曲も同じだよなあ、、と思った。音という実感が薄れデータである波形という図形を整える事にだんだん神経がいってしまう。ズレていると整えたくなる衝動にかられる。しかし耳で聴けば別段なんてことなく心地よいズレだったりする。昔、大学入試のころ音より譜面ヅラのいいほうが受かる、、という噂からやたら譜面ヅラを美しく書く事をしてた時もあった。スラーを多様、分散和音で音数いっぱいにする。。などなど。それでもまだ譜面をえんぴつで書いてたからまだ音というモノを脳で想像してただけマシかもしれない。波形ともなると図形すぎる。なにか重大な感覚を私は失ってきているような気もしつつそれがいったい何なのかもわからず音というものはなんなのか考えてみた。
しかしながら御近所のビル2棟一度に解体と新築の莫大な騒音と道には爆音で新曲宣伝のトラック。。都心は激しい。
なんだか脳ミソもこれじゃあこの騒音の処理に精一杯である。慣れてはいけない環境や習慣があるのだろう。お金は手で握って手渡すものでいいような気もする。もう一度めちゃくちゃ不便でもいいからアナログな生活をしてみたいという欲求がむくむく湧いてきたのであったぞ、と。

2006年8月10日(火)犬用

実は先月15年も飼ってた猫があの世に逝ってしまった。野良だったので推定年齢18歳以上ナゾなのだが老衰といえる。引っ越しも4回もして一緒だったので今の住居も猫の為に階段があって昇り降りで運動になる、トイレ二つあってひとつを猫用に、、などともろもろ猫用に借りたという所も大きい。さてそんな傷心から引っ越しでもしてみるか、、と物件を探しつつ、ついでに防音部屋も増改築かなあ、、とか思っていろいろ見ていたら、なんと犬用防音ユニットなるものが売られてた。しかも私が使っているモノと同じモノのちょぃ小振りってくらいの立派な作りであった。犬小屋に防音かあ、、、としみじみ東京の住宅事情&ペット事情にじ〜んとなったものだ。「あなたの犬の吠えた音が-40デシベルになる!」とかあるなら、いっそのこと「不快な吠え声を周波数カットで小鳥のように変化!」とかいろいろエフェクターかますというテだってあるんじゃないか。。とか新種の犬グッズを考えたりしてた。「わん!」と鳴いたら季節により春は「ホケキョ!」夕方は「カーカー」とかなったらかなり擬態というか保護色ならぬ保護音でまぎれる。。。売れるかもだ。
もしくは防犯用に「わん!」を「ガォー」とかのほうがより楽な増幅とかディストーションエフェクトですむ。ゴジラ風、ライオン風、、、とかいろいろできるぞ、と。
苦情を言われる前に脅せ、、、という強気の姿勢で犬くらい飼えばいいのだ。そもそも自然界は顔がでかく声がでかいものがボスになるのだし、、だぞ、と。

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2006年8月8日(日)視覚チェンバロ

かなり日記をさぼってしまった。
やはりさぼるとBBSは初だが荒らされたりするもんだと実感した。ここのところいつもより遠いスタジオ通いという刺激的な日常も含めかなりパツパツで自分の日常をあまり振り返る事ができていないように思う。昨日も27度設定で寝る時冷房かと思いきや暖房を入れてしまい赤道直下のような蒸し風呂で汗だくで寝てしまったりして怖いもん無しの体力を我ながら感じたりする今日この頃で元気ではある。
さて、ここの所、仕事場の周りはなぜか建設ラッシュで繁華街の為深夜にビル建設工事をしている。時折「うぉ〜〜!!」「ダーン!!」のように叫び声とともに凄いモノを落としているような音までして命がけの音が深夜に漂っている。大昔、鍛冶場の音の高低を聞いてハ!!とピタゴラスが協和音程などの比率を発見したのだからあの恐怖な音から現代私もなんか発見できるのかもしれぬ。
音というのが数学や天文学とすべて源が同じというのは自然の摂理がすべて大きな根源からきているという喜びにもなるが、そのぶん「もっとやわらかい色な感じの声で」とか「それは暗いからもっと明るく」とか欲しい音色を相手に伝えるのは至難の技だ。だが、そんな色や彩度や明度を音の比率と同じという事から当てはめ「視覚チェンバロ」やら「視覚オルガン」なるものをカステルやラモーが1730年ころに作ってるという記述がある。なんとド青、レ緑、ミ黄、ファ曙、ソ赤、ラ紫、シ青紫、という色をあてはめ鍵盤を叩くとチェンバロの上のデカイ箱のなかの500のランプが呼応して光るしくみだったという。今だからこそそんなコンピューターソフトはお手軽に山ほどあるが、その原理はそんな大昔の発見からなにも変わっていない。きっと人間は音という聴覚からなにかしら明度や彩度を感じ取り何かしらの立体映像のようなモノを脳内につくり出していたのだ。
ふと深夜の鉄筋を叩く音からいろいろ妄想しつつ汗だくな夜を過ごしたのであったぞ、と。

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2006年7月2日(月)茂吉

プラネタのレコーディングも始まり、それぞれ気合いが入っているのだ が、面白い事に「勝負グッズ」がそれぞれ違う。例えば「このスカート をはいて歌った時とてつもなくいい歌だった」とするとそのスカートを 持参して毎回はきたくなるものだ。私の場合、あまりそういう願掛け グッズがないのだが、強いて言えばアミノバイタルかもしれない。私は 食べると脳が働かなくなる性質なので集中したいときはほとんど食べたくない。三大欲求のうち食欲というものがもともとそんなに無いのかもしれない。(まあ他もたいした事ないが、、) とはいえ、精をつけねばいけない。夏といえば体力増強には鰻。と、ご 近所の斎藤茂吉が通いつめたという鰻屋に行ってみた。斎藤茂吉にとっ て鰻とは「嗜好の範疇をとうに超えた信仰ともいえる執着ぶり」だった そうで「う〜んあんまり原稿書けないなあ、、鰻食べよう!」てな感じ から「鰻を食べないから書けないし下痢るんだ」と、、だんだんエスカ レートし一日何度も鰻屋に通い食べまくってたらしい。挙げ句「オレに 食われた大量の鰻へ捧げる歌」とかまで作っちゃっているから凄い。ガ ツガツ油の乗った鰻食べつつ「垂乳根の〜〜」とかしんみりしたもの 作ってたのかぁ、、とその店で鰻を食べつつ思った。茂吉は青山脳病院 の院長までしてた医者だったのにも関わらずそこまで鰻にこそパワーが あると信仰したのが不思議である。が、やはり願掛けのような信仰こそやっぱり尋常ではないパワーを生むような気がする。「念じれば叶う」 とか「信じれば救われる」とかふとまったくその通りだろうなあ、、と 思ったのであったぞ、と。

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2006年6月19日(月)大破

まだ私はMacos9.2で仕事はしている。もろもろの理由で変化できないのだ。だがメールやネットその他のスケジュールなどの 管理はOSXのibookを家中持ち歩いてしていた。が、なぜかibookが内臓HDもろとも大破してしまい、急な事だったので何もバックアップをとっていず大慌てした。この日記もそれで滞ってしまった。一番ショックだったのはここ何年かのデジカメデータが無くなった事かもしれない。時々じ〜んといろいろなオトコとの思いで写真をこっそり見てたものだが一気になくなってしまったのだ。。傷心ながら乗り換えの早い私はさっさとmacbookを買いせっせと設定したりして気を紛らわした。 しかし回転早いものの中身もカラッポでかなり虚しい。なんとかなんないかなあァ〜と昔のibookを引っ張り出して来てみると、かなり薄汚い。 ちょうど今のアジトに引っ越して来た時に買ったので思いで深い。私は不思議なもので非情に感慨深い時や悲しい事とかがあると作曲するか文章を書くかどちらかである。 独り作業に専念するのだ。そんな文章が実はびっしりibookには書いてあった。後で曲を作ったときなどに詩のいい材料になる。しかし変なものでmacbookにはまだ本心が語れない。ibookも買ったばかりはぎこちない文章だった。 何が変化するのかはわからないが機械とて打ち解けるという事があるのかもしれぬ。 モノとてこんなにも信頼するのに時間がかかるのだ、ましてや人間なぞと一緒に仕事や生活を共にするのはとてつもなく信頼関係が必要なはずである。こうやっていきなり勝手に大破されてしまうと、今ある環境がそのまま永遠には続かぬのだなあとしみじみ思う。というわけで今まわりにいてくれるモノやひとたちにふとひさびさに感謝の気持ちを、うすぎたないMacを見て合掌しつつ思うのであった、ぞと。

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2006年6月3日(土)集会

ワールドカップのせいか最近街中で例の青いユニフォームを着ている人らがよく通り過ぎる。私のアジトは代々木公園に向かう通りのせいか凄い人通りだ。いまだにコギャルもギャルオもせっせとガングロで踊りの練習をしている。そこへゴスロリが公会堂に向かってフリフリ&ブラックであかちゃん帽子を被って公会堂に向かう。それらに逆行して公園の住人たちがたまに凄いレゲエか、中には口紅まで塗って(男)凄い花柄ワンピで女装して通り過ぎる。それだけでも充分クロスオーバーというか異種格闘なのに、そこへ最近青ユニフォームだ。しかもヨレヨレのじじいが白短パンに青ユニにハイソックスとかでヨレヨレ歩いているのは凄い。「じじい血圧だいじょうぶか?」と声かけそうになった。ほんとなんだかアフリカの部族の集会を見ているようだ。
よく夫婦でそっくりな人達を見るが、人は大好きなものに変態する習性を持っているのかもしれぬ。簡単に変えられる服や髪から始まって次第に話し振りやしぐさまで似通ってくる。ドバトは新しい土地で生活をしようとするとき、その土地のドバトにまず「ぷーぷーふぉふぉー」と習うらしい。自分が以前の土地でつちかった「ぷぷーっふぉっふぉー」の音程とリズムは捨てるのだ。必死に習っているドバトの訓練を私は聞いた事がある。
サッカーや野球の応援の時の複雑なリズムをチームごとに奏でるのと似ている。
さて、私は今何に変態しようとしているのか。。あんな風に熱中できる身も心も捧げられる何かがあるという事は幸せだとつくづく部族の集会をみて思うのであった、ぞと。

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