newback log back log

2006年5月27日(金)その道の職人

最近ヴァイオリンや単品のボーカルなどは自宅のスタジオで録音してしまうので外部のスタジオを使う時はでかい編成や響き重視の時に限定してきたように思う。そのまた昔マニピュレーターの人と自分の機材含め膨大な楽器をスタジオに運んで音色から選んで「では、ベースを録音します」のような厳格な作業がなくなった。「あ、もうちょっとコンプかけてとりましょう」とかそんな一言もなんだか凄い緊張しながら言ってたような記憶がある。録音は絶対的で後から差し替えなんてほぼなかった。「そのキックに合わせて作った音ですから」とかきっぱりお断りされたりもした。後から重なったトラックを聴いては「おお〜〜!こうなるか。。。」と感動したものだ。もはやそういう作業は自宅で一人つぶやきつつしんみり眠くてもう作れないからデータにでもしておくか、、、程度のものになった。思えばあの素晴らしいマニピュレーターの方々のおかげで音色作りというものの大切さと職人技を(凄いお金をかけて)教わったような気がする。すでにもう世の中は次世代になり「あ、じゃあ適当なファイルで送っといて下さい〜」てな感じで人と人が顔会わせずネット上のやりとりでパリだろうがロンドンだろうが一緒に作れるようになったし、私も激近所に住んでいる人との仕事ですらファイルでやりとりする事が多い。そのやり方がいいか悪いかは別問題として、その道の職人てな人々と最近会わないなあ、、と感じる。シンセでキック作らせたら日本一とかムーグいじりの天才、とか。。やっぱそんな職人達と一音入魂のようなそんな気合いな録音がまたしたくなってきた、ぞ、と。

up

2006年5月16日(火)金の斧銀の斧

イラストレーターのMMさんにトークショーを一緒に大阪でやろうと誘われその時の気分で「いいよ〜」と言ってしまい、そのまま本番の前日大阪に行ってみるとMMさんはさっそくこの時期食中毒でお先に食い倒れていた。「今から病院行ってくるわ〜」と。。。
という訳で当日慌てて打ち合わせをしながらMMさんに今いちばんアピールしたい事ってなんなの?と聞けば「私実は失恋で10kg太ったんで慌てて気功で10kg痩せたけど胸がそのままDカップになったのよ!」と意気揚々としている。、、、という事は失恋でDカップを得たと言い換えても過言ではないという事だ。うーん。。同じDカップを得ようとしてまず失恋もしていないのに10kg太るか、、というとそれはかなり危険だ。まあ太るのはあっという間だが気功で痩せず胸だけさらに貧乳になる、、という事もあり得る。
まったくもって「金の斧、銀の斧」だ。
欲深いじいさんが正直者のじいさんの真似をしてわざと斧を池に落として出て来た池の精に「金の斧」を要求して嘘つきばばれて全部失うというイソップ童話だ。
まあ欲深じいさんは池の精を見たとはいえ、一旦は斧を池に落とすという大胆な行動をイチカバチかやっている訳で結構行動力のあるじいさんと私は思うのだが。。。
人生は何か策略的に動く事も大切だろうが心に忠実に行動しないと失敗するのだろう。
イケメン金持ち優しいなぞという金銀の斧的な男欲しさに嘘まくりだといずれ一番大切な愛ある男を失うのかもしれぬ。。。と、いう事で、、かなりMMさんの失恋&気功でDカップには衝撃を受けたが、実直に生きよう、、と無理矢理思った大阪であった、ぞ、と。

up

2006年5月9日(火)空耳

ここ何日かキッチンで「ぴゅ〜」という音がするような気がしてならない。はまぐりが塩を吐くあの音だ。いつも思うが貝類はその場で調理の時に大量殺戮をしているのが恐ろしい。実は先日の調理の時に小さなはまぐりをシンクの排水溝に落としてしまった。そのはまぐりがまだ生きながらえてケナゲに「ぴゅ〜」とかやっているのかと思うと良心がチクチク痛む。「もう殺戮しません!」と言いたくなるが、きっとその「ぴゅ〜」は空耳かもしれぬ。
タラコとかだってあんなに小さな卵を大量にパクっと食べてしまっているし。人間は凄い生き物だなあ、とつくづく思う。
先日ひさびさにAと食事をしたが30になりたてのAもかっぷくがいいという感じにまで成長してた。どうやら健康診査によると肝臓がすでにフォアグラらしい。たしかに美食でよく食べるが自らもフォアグラでは大変だ。誰も食べてくれやしない無駄な成長だ。臓器売買は禁止されているもののどこかで新鮮な腎臓などを待っている人達もいる。生きるとは複雑なものである。
いろんな食物連鎖があるがいったい自分がどこにいるか雑食だからわからぬ。
例えハマグリを食べずともあの日は生きる事ができたし、ハマグリの替わりに海老だろうが鳥だろうがなんでもよかった。「ぴゅ〜」という空耳で生きるために食べるという行為を少し考えてしまったのであったぞ、と。

up