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2006年4月27日(木)現世で歳をとる

また歳をとってしまった。。ここのところなんだか忙しかったので誕生日のスペシャルイベントも考えずに前日まで過ごしてしまい、本当に当日ふと思い立ってマンダリンオリエンタル東京を予約してみたら連休前だったのか当日まさかと思いきや部屋がとれた。以前から気になっていたホテルだったので即刻チェックインして迷わずスパへいった。噂には聞いていたがかなり面白かった。部屋もそうだが床から天上までが一面の窓で絶景とまでは行かないが37階ともなるとビルやら皇居の果てに地平線のようまで見える。最近はそんなホテルも増えたがスパまでも一面窓なのだ。男女別なので素っ裸で窓際のジャグジーに入り、素っ裸で夜景を見ながらサウナに入る。あちらのビルからも見えるのか謎だがまあ気にせず空に浮いたような感覚になるジャグジーに入りながらここ1年を振り返ってみた。
が、、、空に素っ裸で浮いているせいか過去なんて別段どうでもいいような気もしてきた。まあ未来もなるようになるさ、という感じでぼや〜っとする。バカは高い所が好きというが、高い所にいるとバカになるのかもしれぬ。人間は飛べないから高い場所に行くと無意識で恐怖を感じて脳が麻痺するのかもしれぬ。思う事は1年はあっという間だったなあ、、という事だ。思えば生きてきて記憶にある事はすべてあっという間だ。いったいどこの誰が歳をとっているのかすらぼんやりする。この肉体を私というような魂が借りてさまよっているからその為にいろんな煩悩を抱えてしまっているように思う。体があるから服を着る。その服が気になる。顔があるから化粧する。そしてその顔が気になる。そしてその顔に増えていくシワが気になる。そんなのが死ぬ時まで続くのだろう。現世で歳をとるという事は単に借りている肉体の期限を消費しているだけなような気もする。いつかそんなものから開放され37階だろうが40階だろうが(ホテルはたいてい上階が値段高い)自由に浮遊する時がくるんだなあ。。と窓のはるか下には必死にアピールしている無数の看板に現世を感じつつ誕生日を過ごしたのであった、ぞと。

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2006年4月22日(日)天才

アレンジをしたりして曲の内部に触れたりしたときはじめてその作曲家の才能に驚く事が時々ある。最近びっくりしたのはモーツアルトだ。結構モーツアルトは世間で騒がれているより私は軽くみていたからだ。以前ショパンやワーグナーにも驚いたがその比ではない。なんか薄気味悪いような紙一重な天才っぷりを感じた。
よくテレビとかで「恐るべし才能!一発で100ケタの数字を暗記!」とかそんなたぐいの「ああ、脳みそちょっと普通じゃないなあ」という感じが曲からムンムンと出ているのがアレンジしようとしていろいろつついて始めて気づいたのだ。モーツアルトはやっぱり天才だったんだなあ、とやっとわかった。ほぼ、あたりまえだが敗北感だ。ベートーベンなどから感じるのはやはり秀才だ。あとは偏執狂。異常なまでにひとつのモティーフをこねくり回して徹底的に使い回す。ああいうテの女にひっかかったら男は大変だろうなあ、、という気がする。
モーツアルトはおそらく瞬時に自分の魅力を聴衆にひけらかす能力に異常に長けてたのだろう。合コンで絶対に獲物をゲットするようなタイプだ。逆を見れば凄くコンプレックス
強く寂しがりだったのかもしれない。
ただ音楽を聞いただけではあまり感じない作曲するもの同士の「ぬぬ、、おぬし、、」的な発見はいつも新鮮でおもしろい。きっと凄いひとやモノはおそらく自分の趣味とは違ったとしても内部におそるべし罠のような魅力を必ず持っているものかもしれぬと思ったのであったぞ、と。

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2006年4月12日(水)アングラマニアックの血

今日、母がオレンジピールチョコを送って来た。
が、タダモノではない。自分の家になったオレンジを砂糖で煮つめ、私がいつも送る「コートドール」のビターチョコを溶かしてコーティングしてココアをまぶしてぶっとい自作オレンジピールチョコを作って送ってくれたのだ。まったくもってピエールエルメ真っ青の凄い味であった。
母に「これ美味しいよ、、」とおみやげにオレンジピールのチョコを持って行った事が何年も前に1度だけあったのだが、そこのお店が潰れてなくなってしまった。それ以来どこのオレンジピールチョコも納得がいかず悶々としていたらしい。ないなら作ればいいんだ。。と。
以前、メニコン主催でコンサートしたとき、一度もコンタクトレンズを見た事がないメニコン初代社長がまだ眼鏡屋だったころ店に来た外国人の客が「コンタクトレンズないですか?」の一言でコンタクトレンズという目にいれる眼鏡のレンズを妄想し、ついに作り上げてしまったという話を聞いた。
記憶とはそもそも誇大妄想として残るのかもしれぬ。いい所がどんどん誇張されそのもの本来よりはるかに誇大な記憶となるのだ。結果、アレを再現したい!と思うと越えてしまうのだ。
ふと、傑作とは何かこんな時に生まれるものなのかもしれぬ、とオレンジピールチョコを食べて思った。父は店出したら絶対流行るからやれ、というのだが母は「そんな味もわからん他人になんか何千万で買ってくれても作らないね。自分がこっそり食べるから最高のもの作るんじゃん」と言う。あくまでも自分の喜びの為に作るというのが肝心なのか、、とふと思ったのであった。。。が、やはりメジャーではなくアングラマニアックな母であるのであった、ぞ、と。

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2006年4月11日(火)ガッツ石松

「ガッツポーズをとる」とは当たり前にホント普通に使っているが、実は和製英語で創始者は「ガッツ石松」だと今日知った。今日は「ガッツの日」らしい。
1974年の4月11日にボクシングライト級タイトルマッチでガッツ石松がKO勝ちした時に新聞記者が記事に「ガッツポーズ」と書いた時から始まったのだ。結構歴史が浅かったのだ。
まあ、もし、その時新聞記者が「石松ポーズ」と書いても残らなかったのかもしれぬが。しかし本名ではないとはいえ自分のリング名を「ガッツ。。。」としてしまう所も凄いし、ガッツポーズは例えガッツ石松が死んでも永遠に残りそうだし凄いものだなあ、、と。
音楽もバルトークとかストラビンスキーがガッツ派なような気がする。スクリャービンとかシェーンベルグは萌え系だろう。。スクリャービンとかを神秘和音とか言うならばバルトークとかガッツ和音とか命名してもいいのかもしれぬ。。。
さて今日はガッツの日だし気合い入れて作るぞ、と。

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2006年4月6日(水)契約

社会的不適合だよなあと思い知る事がままある。
今日もアジト(仕事場)のポストに請求書の間違いを赤ペン添削して返信用封筒まで同封して頂いたブツがしかも手で投函されていた。私の過ちにここまで優しくして下さる方々に本当に感謝である。仕事を依頼した人にはその場でゲンナマ支給とかしてしまう私だが自分の事となると後回しにしてしまって契約書とかも山のように溜まっている。
今日はせっせとサインしたりハンコ押したりしてみた。なかなか働いている感があって気持ちよかった。そして昨日出した契約書に堂々と平成17年と書いてしまった事をまざまざと思い出してしまった。。また返ってくるかなあ。。
しかしホントどこに行っても契約書だらけである。
歯医者に治療に行けば治療に関してこの金額に依存無しと一筆かかされるし、その後まつ毛パーマに行ってもその処置でどうなろうとも我慢する的文章にサインさせられた。今日一日で私はいったいどれだけの契約を結んだのかすらわからぬほど多い。そして日常にだって「瓶のフタに付着している脱酸素剤は召し上がれません」とか誰がこんなもんわざわざ剥がして食うかよ。。的な注意書きも非難訴訟を避けるために丁寧に書いてある。
いやあ。。私はもっと手放しで人を信じて信じられて生きて行きたい。ぞ、と。

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