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2006年3月27日(月)春

なんだか急に春っぽい。春というだけで浮かれた気分になるのだから日本人は結構おめでたいのかもしれない。今日はプラネタが韓国公演に旅立つ前の最後の練習だったので気合いをいれて頑張って来た。以前自分がいろいろな国で公演するたびに思った事は日本ほど静かな聴衆はいない、、という事だ。いつも日本でコンサートする度に「ああ、ウケ悪いなあ。。。」と思いきや、あとで感想を聞けば結構静かに盛り上がってたりする。桜が咲くだけで浮かれる人種とは思えぬから不思議だ。どんなに仲良い夫婦でも「ハニー愛している!チュ」なんて図はまだまだ日本では若かろうがなかなかなさそうだ。「俺がここにいるってことはそれが愛なんだ」的寡黙な愛情表現が今も昔も日本的だろう。だがまだ離婚率も毎日愛していると言い合っているアメリカより低いし、実は愛が深いのか、我慢強いのか、不思議である。と、、いつもコンサートが終る度に「きっと感情表現が寡黙的なだけなんだ」と思う事にしてた。韓国公演成功を祈る。
さて、そんな今日は春になって私のアジトでは急激に雑草がベランダのこぼれた土に生え、凄い勢いで伸びたのでそれらを可能な限り撤去してからリハに行ったのだが、いつも不思議に思う事がある。それは雑草は自分の姿を知っているのか?という事だ。必ず、ベランダで植えてある草花にそっくりな雑草がはびこるのだ。カメレオンのようにそっくりな雑草がその場に応じて生えて来る。草花には目なんてないのに凄いものだ。大事にされている草花に化けて生き延びるのだ。
しかし、人間もそんなものかもしれぬ。リハに向かう時、道行く人が結構似たもの同士で歩いているのだ。ミニスカはミニスカ同士。髪型も女子なんてほぼ一緒のもの同士だ。目があろうがなかろうが、そうやってたくましく生きる術が生き物にはあるのか、、と感動すらしたのであった、ぞ、と。

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2006年3月15日(金)ipod

音楽を聴くという行為がipodのようなデータベースに変わりつつある中、Tちゃんは音質が嫌いとipodをせっかくもらったのにヤフオクで売ってしまった。実は私もipodを買ってせっせとデータ化したものの外出先でほとんど聴かない。電車に乗らない事が原因かもしれない。で、しょうがなく活用するためにAirMac Expressを買い、かなり至近距離のリビングのスピーカーに飛ばしてみたり、Griffin iTripを買い車のラジオに飛ばしてみたりしてなんとか活用している。だが、作業しててホっとリビングでお茶する時は無音がいいし、車とはいえ、車にでも乗らないとお互い会話しないようなMの車に乗ってまで音楽をかけて無口になるのもナンだし。。と使用法に無理矢理感が漂う。
なんだか巷でipodを楽しそうに操っている図を見かける度に生活の中で音楽を楽しんでいる図が見え隠れしなんか小粋だ。今日ケーブルを買いに電気屋に行ったらオヤジが店員に「家庭でもブロードバンド化されてましたら簡単にダウンロードして、、mp3にでもなんでも対応してますし、、なんちゃら」とまあ当たり前の説明だがカタカナ英語多様に対し、曖昧な苦笑いをしていた。で、「ラジオは聞けるんですかね?」と、、答えてたのが妙にイタイタしかった。野球くらいしか聞かないんじゃないのかなあ、、と。
まあ人それぞれの楽しみや生活がある訳で、別段音楽そのものが変化した訳ではないのだし、と。私の場合せっかく買ったipodはこのままだと結局ハードディスクとして使いそうだ、ぞ、と。

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2006年3月6日(月)変身

「変身」というとだいたい西も東も昆虫になるようで朝起きると巨大な毒虫化する実存主義的な変身からバイクに乗って全速で疾走するとバッタ化するかなり積極的な変身もある。私が多大な影響を受けているのはもちろん積極的「変身!」であり実はヒミツのアッコちゃんのテクマクマヤコンコンパクトより何より欲しかったのは仮面ライダーの変身ベルトだった。あれはベルトについている風車がバイクで猛スピードで走ると風圧を受け頂点に達すると変身する仕組みで、その能動的な変身に対する意欲のようなものが幼少時心打つものがあったのかもしれない。さて、バンダイがそういうミツゴの魂を揺するべく
「コンプリートセレクション 仮面ライダー新1号 変身ベルト」
を3月下旬に発売する。税込み31500円なのだがこれまた結構リアルで良くできている。
http://www.bandai.co.jp/releases/J2006013101.html
また、オヤジ向け商品の為ちゃんとウェストも110cmまで対応しているのでデブ腹にコレを巻く事も可能だ。逆に私にとったらデカ過ぎるので着物の帯留めくらいにしかならないかもしれないが。。。
今自分を取り巻く環境がどうしようもなく、もう変身!するしかないくらい世間の風圧を感じ生きているからこそ変身願望が生まれ、この世の全ての自分の存在価値をくつがえしてしまいたい。と感じるのだろう。が、例えば私が実際今それを実現させようと思えば、尼寺とか行って現世を忘れ修行でもするしかないのかもしれない。外見を変える事は頭を剃るくらいしかできないので中身を変えるしか現実には手はないのだ。
おそらくウェスト110cmまで対応している変身ベルトを買ったオヤジは絶対赤いマフラーを首に巻いて鏡にうっとりうつし、「変身!」と叫ぶに違いない。仏門に入るよりそのくらいのチョイ変身で気も紛らわせるのも悪くはないかもしれないぞ、と。

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2006年3月1日(水)往生際

Tちゃんとは知り合った頃からずっと何か一緒にしよう、と言い合ってはいるもののもう3年も過ぎようとしている。何かやっている友人とはいつもそんな事を言い合っては妄想話で具体的にディテールをこだわって決めてはいるものの本編の音楽をなかなか作らない。Tちゃんとは「ナホコビッチ&タケ○ミスキー」とバンド名まで決まっておりライブをする際には必ずあのロシアの毛皮の帽子にしっぽの着いたのをどんなに真夏でも着用とまで決まっているのだがまだ一音たりとも作っていない。「さていいかげん何かしようか?」とはいってもお互いの作風は火と油なのでオリジナルより前にとりあえずマドンナでもマッシブアタックでも既成の曲でもアレンジしなおす?とTちゃんが言ったので「いやいや、もし凄いいい曲になっちゃっても訴えられるかもだしどっかで発表するたびに印税を払わなきゃだし、著作権フリーのクラシックかなんかでやろうよ」という事になった。さて、ここが問題だ。最近有名な合唱曲をめぐってCDの回収騒ぎもあった。その作曲家が生きているから音に直面するし著作権としては当然の訴えなのだが、これには考えさせられた。私の場合作曲家が死んで久しいものなので著作権もなく金払わないでいいしアレンジし放題だ。じゃあ死んでりゃ聴けないし死人に口無しだし何やってもいいのかよ?と。。しかしまあその仕返しとしてか、「叶姉妹とオナベ達」とかの対談番組のバックで何の許可もなくず〜っと私の音楽が流れていたりする。編曲しなおしされてなきゃ金さえ払えばどう使ってもいいという訳でもない。お互いは別問題かもしれないがやはり権利といえども感情の問題なのかもしれぬ。著作権はだいたいの国の作曲者の死後50年で消滅する。おそらくこの50周忌で作曲ブツも大往生とみなし以後公共のものとするのがいいのかもしれない。そんなにたってもみんなに愛され幸せの復活を何度もとげられる曲は幸せだ。不死になったとも言える。さて「叶姉妹とオナベ達」で往生するのもナンなんでなんとか私の死後50年後でも生き生きと復活させてもらえるような愛され曲をつくらねばだぞ、と。

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