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2005年10月25日(火)脳内変換

今日はヴァイオリンのNさんがスタジオに来てずっと録音をしていた。夏にも録音をしたのだがその時より乾燥しているせいか鳴りもよく録音できた。最近バックがリズムガンガンの曲などの時マイクもONからOFFまで何パターンかにして一人で重ねどりをしていき何十人かのストリングスに仕立てる事を時々する。実はそれのほうが奏法も一致して音程もタイミングもジャストなノリのいいストリングスができたりするのだ。良く考えたら大合唱より一人歌重ねのほうが好きな私としては当たり前の手法だった。さてこのNさんはこの週末に御結婚で独身最後の録音であった。目出たい目出たい。が、しかし彼女の幸せいっぱいが私には眩しすぎたのか、Nさんからのメールで「週末に結婚式があるのであまり遅くならない時間がいいです」ともらったのに「週末にさらわなくてはならない曲があるのであまり遅くならない、、」と完全に読み間違えていた。というかどうやって読み間違えるんだよ?というぐらい別モノに脳内変換していた。うーん。。こうやって人間は余りに痛いと痛さを感じないですむような物質が脳内で放出されてしまうらしい。ぞ、と。

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2005年10月18日(火)生活に追われる

最近雨ばっかりだ。雨ばっかりで外に出かける時もお洒落どころかシルクはダメ、皮も濡れて危ない、、などとマイナスな感じになりがちだ。どうせ街だとそんななので気分転換にまた富士山樹海界隈のMの別荘に週末滞在してきた。思いがけず晴れたのでゴルフして焼き肉食べて8時に寝たりした。やればできるのだ。で、焼き肉屋で辺りを見回すと牛のような女性が共食いのようにガツガツ6時くらいに肉を食べまくっている。オヤジも真っ赤でビール飲みまくっている。東京で言う所の10時半くらいな感じだ。田舎はさすがである。最近ダイエットに気をつけて痩せて喜んでいた私だが牛のような女性達を見てなんだか生命力が自分に足りないような気もしつつカナリ食べた。あの女性達は金もらってるサクラなのかもしれぬ。
ふと、「生活に追われる」という言葉を思い出した。良くない意味でよく使われるこの言葉は結構私の憧れでもある。なんか地に足つかぬ音楽制作のような日々などよりどっぷり生活に追われて時のたつのも忘れるくらいに生きるのも素敵だろうなあ。。と全身肉臭くなりつつ思うのであったぞ、と。

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2005年10月14日(金)肉筆

生というのには結構皆こだわりを持つポイントである。
例えば、生演奏、生出演、などなど。。
今となってベートーベンの弦楽四重奏のピアノ譜の肉筆が発見されおよそ3億円くらいになるそうだ。これもまたナマナマしい為の高額である。今日楽譜出版の話をしていたのだが、もはや手書き譜で作っていないため最初から最後までデータである。これじゃあもし私の死後どこぞやで競売に楽譜がかかって値段がつり上がるというネタすらない。私もきっとベートーベンと同じくらいの苦悩はあるだろうし、ナマナマしく制作しているものの証拠がないのだ。
指紋付きトラックボールとか味気ない。売れなさそうだ。
しかし、以前人差し指で回すトラックボールのため私は右手の人差し指が変形してしまっている。訴訟起こしたら結構ふんだくれそうな苦悩感はある。が、もちろん価値なぞない。こう考えるとこれから先もっと何百年かたち、世の中がもっともっと機能化され機械化され、人々の汗や苦悩の証拠というのがますます残りづらくなってしまい、楽曲は軽くダウンロードされ、軽く捨てられ、作っているモノの裏の価値すらなくなってしまうのか、、と。しかしハードを通さずにすむ面、世界の距離はますます無くなり良い面も多々あるだろう。未来は明るい、とみるぞ、と。

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2005年10月13日(木)炎の一括払い

1年半ぶりくらいにAが「10分くらい会わない?」と夜中に失礼な電話をしてきた。Aは仕事が恋人な超多忙なギリギリ20代のナイスガイである。ナイスガイに弱い私はすぐに仕事も放りだして仕事場の外まででてみると、ニヤついたAがピカピカの新車の前にいる。「なんかさ〜お金おろして買っちゃったよ〜」と。。そう、現金一括払いなぞ、この金利の低い時代にしたらしい。さすがである。しかし私も職業のせいか一括払い派なのだ。というか、分割でチマチマ払っているヘッドアンプなんか通して録音したらなんだか音まで細くなっちゃいそうだからだ。。ふと、私のまわりを見渡せば、ほとんど一括払い派。。類は友を呼ぶのか。先日Wさんなんてデカイダイヤのピアスを買いたい、、と宝飾売り場に行ったついでに見たぶっといパネライの腕時計を即金で買っていた。さすがである。そしてみなさんおっしゃる言葉は同じく「いやあ、金の使い道なくてさあ〜」、、、だ。人間の三大欲求は食欲、睡眠欲、性欲、だが、だいたいそれらを満たす事のできぬ程の超多忙人間達は瞬間の高揚の快感でガツンと買うらしい。超多忙に働き大金を使うのか、ゆったりと働き節約な暮らしをするのか。どちらも手元の金額は同じぐらいだろうが、できたらゆったりと働き大金を使いたいものだぞ、と。

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2005年10月11日(火)マニアック

私はツーカー愛用者だが知らぬ間にツーカーがKDDIと合併されていた。かなり少数波そして最近では老人に優しいツーカーだったが、ついに、、という感じである。ごく稀にツーカー愛用者に巷で出会うとかなりの親近感を持ち、そして電車でツーカーを取り出して乗り換えとか調べようものなら「ツーカーにだってこのくらいはできるさ」と心の中でなぜかブツブツ言ってしまっていた。いつも早くどっかメジャーと合併されてしまえと思っていた夢だが実際あっさり合併されてしまうとちょっと寂しい。
さて、私は動物の中で特にウォンバットが好きで、最近希少なぬいぐるみを手に入れ喜んでいた。が、本物を見た事ないというので嬉々とMに写真を見せたら即座に「コアラのほうがカワイイじゃん」と言われてしまった。実際動物園でコアラは夜行性の為暗いガラス張りの中で丁寧に飼われているが同じ夜行性で有袋類のウォンバットは野ざらしだ。という事は万人がコアラのほうがカワイイと感じているからガラス張りなのだろう。何も考えずただなぜか希少ものを選んでしまうマニアックな私の感性が悔しい。やはりアンダーグラウンドなのかよ、と。

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2005年10月9日(日)決断

今日はエンジニアのGちゃんの結婚パーティだった。いつも斜に構え毒を吐いているGちゃんだがこの日は普通の男子になっており、7年もつき合った彼女と無事ゴールインした。7年、と思うと凄い長いものだ。が、決断して目出たしめでたしである。女子友のKちゃんなんて7年つき合って誰から見てもお似合いのカップルだった彼と別れてからというものいまだ独身のままだ。思うに、どんなに恋多き人でも本当に愛せるのは生涯一人くらいなものなのかもしれない。付き合いも途中お互いが一緒の事に慣れてしまったり思いを伝達する事を怠ったりしてすれ違ってしまいナニゲに別れてしまうと取り返しのつかない事になってしまうだろう。二度とそのレベルの人には出会えないからである。
私は小さい頃から感情表現のはけ口が音楽だったせいか、誰に対しても心の奥底の気持ちを面と向かって伝えるのが苦手だった。言いたい事は思いっきり音楽で表現していたのだ。が、最近よく思う。きちんと話さないと、伝えなければいけない、と。というのも、もっともっと話せばよかった、と思っていた友人のF氏がいきなりあの世に行ってしまったからだ。いつか、、いずれ、、という時はないのだろう。という訳でせっせとプライドを捨て捨て身で心をさらけ出し話してみるという行動に慣れようとしている。後で後悔するくらいならこんなプライドなぞいくらでも捨てられる、ぞ、と。

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