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2005年7月31日(日)バッタリ

今日はMが労働意欲を盛り立てる為に買った車を初乗りしてた。欲しいものは買ってしまい後はどんどん働けばいいという思想らしい。私の場合そこまでの思想もなくあの時のギャラは実は無かったんだ、、と思おう、と機材を買ったりしている。どちらがプラス思考かは謎だ。車は私は動けばどうでもいいのだが、どちらかというとメーターのデザインなどが興味ある。しかし東京は本当にいつでもどこかしら渋滞だ。と、思いつつナニゲに外に目をやると、どっかで見た感じの人がスーパーで買い出した袋を手に私をジっと見ている。およそ1分くらいお互いにらみ合って脳内を探ってみた所ほぼ同時にハ!!!と気づいた。某レコード会社のFさんだ。Fさんがどこに住んでいるかなんて知らないし、Fさんは私がそんな時間にそこを通り過ぎるとも知らない。しかも車の中と外で気づいたというのが私はかなり嬉しく、Fさんもそうなのかお互い今生の別れのように手を振り合った。いつも思うがバッタリという出会いは本当に凄い。が、例えば「Kさんにこの間ばったり会ったよ」と頻繁に色々なひととバッタリ会っているバッタリ体質のひともいる。いったいこのバッタリ、、、なんなのか知りたいぞ、と。
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2005年7月26日(火)咄嗟の行動

地震が来て台風も来てかなり天変地異な雰囲気であやしい毎日だ。人災も含めたら平穏無事な日がそうそう続くわけはないのだ。しかし咄嗟の時何を持って何を着て逃げるか、、とか脳内でシュミレーションして覚えておかないと無駄な行動してしまいそうだ。よく漫画で女子がキャー!と裸で押さえる場所はだいたい胸だが、モザイク入るのは下腹部な気がする。絵的には胸を押さえる図が美しいとは思うが。。。さて、私は今回の地震で咄嗟に押さえたのは二つのスピーカーだった。となるとだ、、。咄嗟に女子がとる行動は両手でいっぺんに押さえられる左右対称のモノという事なのか?確かにウーハーなぞ両乳に似ている。うーん母性とはこういう事を言うのか、、、とか感心したのだが、ヤワなマイクは見事に転倒してボコボコに凹んでしまったぞ、と。
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2005年7月22日(金)ネイティブ武蔵野人

武蔵野の地に代々住み武蔵野人として誇りを持ち規律を守り続けている人たちの事を私はネイティブ武蔵野人と呼んでいる。酒に酔うと精神論及びインドを語ったり、自分たちでは気づいていないがかなり言葉にも特徴がありマフラーとは言わず襟巻きと言ったりする。近隣のもうちょっとファミリー文化である多摩のタマーズや文壇系教育系の杉並文化圏ともちょっと違う。そんなネイティブ武蔵野人の一人である歌手のY子がひさびさに手みやげ持参で訪ねて来た。一緒に夕ご飯でも食べようと思ったがリハで私が外にいたためメニューも考えていなかったにも関わらずしっかり「特級福神漬け」を買って来ている。どうやら家に待機して仕事してくれてたエンジニアと話して冷蔵庫にはカレーがあるらしいという情報から福神漬け購入に至ったらしい。さすが規律を守るネイティブ的行動だ。カレーには福神漬けという日本国民が勝手に築き上げた伝統を守っている。そんな訳で残り少なかった冷蔵庫のカレーを暖めなおしみんなで福神漬けとともに美味しく頂いたのであった、ぞ、と。
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2005年7月15日(金) グンマ

打ち合わせで群馬出身のIさんが20年来気になる店を教えてくれた。某レコード会社にかなり激近いとんかつ屋でその名も「グンマ」だ。いや、凄いネーミングだ。カタカナにしたところがまたさらにナニ?って感じだ。「マツモトキヨシ」のようなインパクトを放っていた。そしてちょうど打ち合わせ後にその前をタクシーで通りまさにカタカナの「グンマ」を拝み、そのまま私は母がジャズ引退するというのでその最後のコンサートを群馬まで聴きにいった。プレーヤーは瞬間芸そのものだからやはり年齢との戦いになるのだなあといつも思う。作曲とて脳内瞬間芸だからそうかもしれぬ。
しかし、ひとつの事を何十年も続けるのはやはり大変である。母は32歳くらいからジャズに転向してから今までだから30年以上続けたのだ。私が母の年齢になってまで今のように曲を作っているかはまるっきりわからぬ。
そして「グンマ」という看板を20年以上も掲げてとんかつ屋をやっている「グンマ」も凄い。妙に気になる。今度食べにいってみるぞ、と。
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2005年7月5日(火) 美白か焼きか。。

先月の南国でかなり日焼けをし、今回のヨーロッパでさらにドカタ焼けをしてしまった。日焼け止めは塗ったところで所詮気休めだ。あっちにいると、ついつい綺麗に焼けたマダムが素敵に見え「ま〜日光って気持ちいいわね〜」くらいに大らかになってしまう。みんなこんがり綺麗でヘソ出しノーメークノーヒールが普段だ。しかあし、日本は美白命の国だ。夏になれば黒いフリルの日傘で長そでで手袋をはめおばちゃんでも美白を保つ。なんだか焼いたらいけない宗教のようにも見える。薬局でもなんでも美白剤が山のように売っている。あ〜白いってそんなに大切かよ?と開きなおってしまいたいが、ちょっぴり後悔している。
綺麗に日焼けした元気はつらつ健康的な作曲家という作風じゃないよなあ、。と。
日焼けの為、あっさり作風でも変えるか。。。
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2005年7月1日(金) ベルリンとか

ハノーファーにちょっと用事があったので、せっかくだからとパリ、ベルリン、他もろもろ回って来た。あまり時間がなかったのでそれぞれの都市は滞在が短くあまりナイトライフ三昧ではなかったが、パリはちょうど音楽祭の日で街中なぜか吹奏楽で盛り上がっていた。しかも大太鼓が四つ打ちだ。むむ、、これが「ユーロビート」の由来か?と謎であったが、市民が吹奏楽で夜中踊り盛り上がっているのはかなりビビった。日本のように電気系にいかないのが凄い。その後寝台夜行でベルリンに行くとこれまたラブパレード真っ盛りで真っ昼間からドラッククイーン達がただですら背が高いのによりデカく綺麗に正装して炎天下で盛り上がりまくりだ。全体的には以前ベルリンに行った時より皆コジャレているし、街もどこが元東か西かわからないくらいだ。前は瓦礫の中トイレもないクラブで用を隠しあい合いながら足したあのベルリンが、、、と、ややじ〜んとした。街も変わったが私の感性もやや変わったらしい。今回のヨーロッパでは行った事のないフランスのブルターニュの田舎やドイツも牛くらいしかいないド田舎などに行った。どこまでももや〜っと霧の薄青い海の水平線や夕暮れの真っ青な地平線などが心に染みた。ベルリンで仕入れたKaraoke KalkなどのCDを聴くとなぜかそういう風景が思い出される。そういえば、MUMのレコーディングもアイスランドの孤島の灯台で行われたというし。ふと、彼等はあんな寂しさの風景を心に持っているのかも知れないと思った。先端と思われるエレクトロも無人の島のような所で生まれる訳がよくわかる。若いころはコジャレタ街に恐れをなし、吸収しないといけないといつも怯えてたが、何もないド田舎で心の奥底を探る事こそ先端にたどり着くのかもしれぬ、と、ちょっと安心したような気がした旅であった、ぞ、と。
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