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2004年6月2日(水) なぜだろう。。

私はCDを買う時なぜかドキドキする。もちろんとっても楽しみで期待するとともにやはり勝負な気がするのだ。自分はこの人のナニに負けているんだろう。。のようなそんな気がしつつ聴くのだ。だいたいどんな作品でも「すげえなあ〜」と思える所があって敬服する。得に日本人モノを買う時はカナリどきどきする。変なもんだ。
近いひとたちがどんな事しでかしてくれているのかにドキドキするのだ。
いつも思うが、どんなに海外レコーディングしても何しても日本人モノの日本特有の音というのがあるような気がする。それはしばらく海外に行って帰って来た時の成田の匂いにも似ていてクリーンでいてクリアで粒子がそろっているようなそんな感じだ。清潔感溢れる感じと言うか秋晴れにたなびく雲のようとでも言えるのかなあ。。色彩感なので音ではないのかもしれない。ドロドロな性や汗をあまり感じないとも言える。きき酒のように、きき音とかやって何処の国のモノか当てるというのやってみたいぞ、と。

2004年6月5日(土) ブイブイ

今日はひさびさに作家のIちゃん達と池袋で飲み食いした。昔学生のころは池袋のヤマハに毎週のようにスコアなどを物色していたものだ。似たようなジャンルのスコアをチェックしているヤツを横目でムムっと思いつつコアな一品を探すのが趣味であった。
さて、池袋の怪しいバーで、たまにマジな話をしたのだが、私はいつも思うのだが人の妄想をかき立てるモノとして映像や音はあるにしろ文字ほど凄いものはないのではないのか、、と。ある程度具体的である程度隙間があり、そのひとの記憶次第でどうにでもなる文字からの妄想。きっと言葉という単語になるまで、最近のハヤリ言葉もそうだがカナリの数の単語がいっとき使われそして消えてったのだ。「愛」とか「恋」なんて言葉さえなかったらそんな感情すらわからないかもだ。さて、さかんに言われる言葉で「カキアゲさんはなんやかんやでずっとブイブイ言わせてくださいよ〜〜」の「ブイブイ」とはなんなのかわからぬ。ただ単にじゃあ、「ブイ」っとたまあに言えばいいもんじゃあないし。。なんやら勢いがあるような「ブイブイ」だが、、武士の「武」とかが「ブ」といううわさもあるらしい。では「イ」は?と、、「ブイブイ」言いたいもののいまいちはっきりせぬ、ぞ、と。

2004年6月9日(水) 信じる

群馬の実家にいたころの話しだ。あるとき池が急に凄く臭くなってきてなんじゃ?という事で水を取り替える事に。すると、ザクザクハマグリやアサリが(もちろん死んで)出てきた。。うーん、、なぜだ?昔、この辺はやはり海だったのか?とか古墳とかがいきなり出没したのか?といろいろな説をあれこれ考えたのだが、結果は弟の友だちが夕飯をごちそうしたお礼にと、買った貝を池に放流していたのだ。アホな。。
と、Yちゃんに話したら、Yちゃんは山育ちなのでかなり海というものに恐れと憧れをもっているのだが、、Yちゃんが昔、シマ蛇を川に放流したら友だちに「おい!シマ蛇が海にたどりつくとあの凶暴な海蛇になっちゃうぞ〜〜!」と言われ、そりゃマズイ!と慌てて放流したシマ蛇を捕まえに走ったらしい。アホな。。と思いつつなんだか妙に納得してしまった。小さいころはそんな信じている事が山のようにあったものだ。柿の種というおせんべいはホントの柿の種を干し続けるとああなる、とか、草餅は延々と蓬を潰し続けるとできる、とか。今だに気にするのが夜笛を吹くと鬼が出るのでいけない、とか。。初モノは東を向いて笑いながら食べるとか。。。。まだまだ山のようにある、ぞ、と。

2004年6月10日(木) プラモデル

弦楽器やオーケストラのデモ用の音源を入れ替えようといつもいろいろネットでリサーチしているのだが、かなりの凄い本物そっくりにできあがっているmp3等がザクザクある。各メーカーのサイトに行ってもこれまた凄いサンプルが用意されている。どれもこれも凄すぎてわからないので実際に楽器屋で視聴してみれば、、どれもこれも思ったよりカナリショボイのだ。結局まあまあなモノを仕入れて帰ってきたのだが、とはいえ、かなりの金額だ。帰りがけ雨に打たれつつ思ったことは、私にはきっとこの高額な音源使ってもアソコまでは到達できなさそうだなあ。。と。思い起こせば、小さいころからプラモデルなど作るのが興奮と面倒の戦いであった。ウオ〜っと興奮し勢いで途中を飛ばして適当に完成させてしまいいくつか必ず部品が残ってしまう。できあがるまでの興奮に比べできあがったモノのかなりのショボさと不具合にいつもチっと目をそらしていたもんだ。いかんなあ。。心入れ替えねば。。と思いつつもどうしても取り説を読むのが面倒だ、ぞ、。と。

2004年6月14日(月) FF pp

よく大学のころダサイ音楽ギャグを考えては笑っていた。いまだに残ってときどき使うのが「ドれみふぁそらシド」っと歌う時カタカナ部分を1オクターブ高く歌い「下高井戸」とか、、プレーンな「ドれみふぁそらしド」で高井戸とか。。だ。
やはりネタ的にかなり使い古したんでひさびさに新作を作ってみた。「FF」フォルテッシモと「pp」ピアニッシモだ。「よ〜〜し!今日はシモネタバリバリ大全開だぜ〜〜!」の時「ふぉるてっ下(シモ)」といい、「あ〜〜今日はシモネタ控えめでお堅くいきますぅ」の時は「ぴあにっ下(シモ)」と言い。。まあ日常的には打ち合わせ前や飲み会前とかに「今日はフォルテッシモでいく?ピアニッシモにしとく?」とナニゲに仲間と連絡しあうというワケだ。まあ携帯メールとかに「FFF]と例えば入っていたら「よ〜〜っしフォルテッシシモだぞ〜〜」っと言う事だ。うーん。ひさびさ新作は使い勝手が良い。これなら10年はもつぞ、と。

2004年6月18日(金) 緩み具合

今日はついに念願の電源ケーブル替えをした。どうも最近のMacの不調が気になり思いきったのだ。もちろん主要なヘッドアンプやミキサー等のケーブルも取り替えた。ついでではないがMacに差してあるメモリーカード、プロツールスのカード等に秘密の液体を接点に塗り塗りしていただいた。金や銀の蒸留油だそうだ。これで電気信号の流れが良くなるらしい。恐るべき事にMacの基盤のネジを均等に締めるという事もしてもらった。う〜〜ン。これには驚いた。なんでもかんでもしっかりきつく締めればイイってもんではないらしい。均等にストレスなく留めてあるのが振動を美しく伝えるらしいのだ。いやあ。。。人間と変わらないですねえ。。とふと思った。美味しいものを食べ精神的にも肉体的にも程よく緩み血流が良くなれば美しいバランスのスタイルになりそうだ。その後、スピーカーのとめネジも均一に留めなおし、聴いてみるとすんごい歴然と違う。。定位もわかりやすいし、クリアで伸びる、感じかなあ。う〜〜ン。気持ちイイ。
最近思う事がある。人間、緩むという事のバランスが大切なんだろう。。と。
気付くと緩みを忘れてしまう。楽しく緩む事は悪ではないのにどうしても恐くてできない事が多い。余裕で美しく緩みたいものだ、ぞ、と。

2004年6月22日(火) ついに

金銀を塗り塗りしておだておだてて使っていたMacだが、ついに起動すらしなくなりオダブツとなった。頑張れよ〜〜っと言ってはやっと続いていたようなものだったので何度電源入れても音信不通の真っ暗な画面には心がカナリ痛んだ。せめてもの幽かな反応にも浮き沈みしていたがアホらしくなり修理に出そうと、修理センターに電話をし、「まったくああで、こうで、あのときこうしたらこうで、、」と、みのもんたに嫁の悪口言うようこまか〜くに切々と訴えたのに、いっくらマニアルどうりとはいえ、「大変ぶしつけな質問ですが、水をかけたり、落としたりはしてませんね」と言われたのには驚いた。「はい、雷も落ちてません!」と答えてみたものの。。やはり修理は面倒だ。だが、、こうやってMacとかモノは修理可能だからいいよなあ。っと。いつも思うが修理できぬモノこそ大切にしなきゃなあ。。っと。形ないモノにホントは支えられているんだよなあ。。っと。

2004年6月30日(水) 別れの曲のせい

ふと思えば今日で半年過ぎてしまった。なんだかこの半年で私はまたもや怒濤のごとく環境が激変しているなあっとプチ振り返ってみたりした。そんな中、今日は新しい初顔合わせのメンバーたちのレコーディングを音響ハウスでしつつ後楽園のプラネタのコンサートに行ったり来たりしてた。ひさしぶりの電車移動でカナリ緊張して乗り間違いと逆方向に乗る失態を繰り返し社会の厳しさをヒシヒシ感じつつ、、プラネタのそれぞれの曲を作っていたときの思いでが重なり聴いているとすぐに目頭が熱くなるのであった。最後の別れの曲ではボロボロ涙がこぼれる有り様である。こう思えば私はカナリ中身は演歌魂というか感情過多な人物なのだ。いや、それだけではない。、ジンクスなのであろうか。。この別れの曲をアレンジする度に誰かと別れるハメになる。うーん。3回ともそうだ。ワビサビの時、クレモンティーヌの時、そして今回のプラネタの時。。これから別れの曲の発注が来たら絶対断ろう!と心に決めレコーィング現場に戻りカナリキャピキャピな現場でフォルテッシモ全開ではしゃぎつつ、ひさびさ、音楽しててよかったなあっとしみじみ感じた1日であった、ぞ。と。

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