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2003年10月1日(水) 続現代音楽

エレクトロも現代音楽も音響的であるということには変わりないのであるが決定的に違うのは作曲者と演奏者が現代音楽の例えばオーケストラだと別々になる。さらにオケなら大人数だし、指揮者も必要だ。私がナマ音を(オケとかコーラスとかのことを言ってるつもり)を使うときやはり一番他人に渡るという期待と恐怖がつきまとう。私の日頃の美意識なんぞまるっきりしらぬ他人がはたして私の音楽なぞ演奏できるか。。と。が、しかし、そこでやることは吟味である。本当にこの音でいいのか?こっちじゃないのか?っと。。。ふとクセナキスのオケを聴きつつ「いや〜みんなよくヤルなあ。。」っと。作るほうも作るほうなら演奏するほうもほうだ。時間も手間もかかるぞ。と。なんせ現代音楽というのは新曲だから誰も聴いたことのないものだから。なあ。ああ、手間暇。。手間ひま。。ねえ。かけることを忘れちゃいかんですぞ、と。

2003年10月2日(木) 母アフリカ

昨年単独でアフリカに行きライブしてきた母が地元でコンサートを開いたのは確か今年だったけか。。またそのときの打楽器奏者+ダンサー総勢10数名と一緒にジャズのライブを地元の前橋でこじんまりとやるらしい。。10/9 夢スタジオ027-253-8608
毎日、「もう体力があ。。」とか「お父さんがあ。。」とかブチブチ文句いいつつも現役で演奏をするとはたいしたもんだ。と娘ながら感心する。そんな母の口癖は昔も今も私に向かって必ず「お前は天才なんだから大丈夫」とよく言われていい気になってたものだ。まあでもそれと同時に「お前はキチガイだからあきらめろ」ともよく言われてた。。大学のころ小さな子供にピアノを教えてた時母親達の口癖は「このコに才能はあるんでしょうか?」と。「バカヤロウ!母のお前が信じてやらなくて誰が信じてやるんだ!」と心で叫びつつ「大丈夫ですよ。続ければなんとかなります」と曖昧な答えをいつもしていたもんであった。。。
そろそろ私が母に「大丈夫お母さんは天才だから」と言ってあげたら良いのか否か。図に乗られるのもなあ。。と。

2003年10月5日(日) バレエ

バレンボエム指揮のなまオケで春の祭典、火の鳥がシルビーギエムの踊りで見られるときたら何万でも出して見るぞ!と。が、しかし。チケットの抽選で外れたぞ。悔しくてキャンセル待ちしたが外れたぞ。うーん。。非常に残念。無念。悔しい!と思ったのはひさしぶりであったなあ。と。。ふと、。バレエ・プレルジョカージュというヌーベルダンスの春の祭典もたしか近くで来日してたなあっと調べてみたら、シュトックハウゼンのヘリコプター四重奏も同時に振り付けて踊るらしい。このヘリコプターは、なんと弦楽四重奏の演奏家がひとりひとりヘリコプターに乗って空で演奏するというアホな、だがしかし壮大な曲なのだ。いやあ、今の時代のようにMAXなぞのソフトで机上で演奏するよりはるかにハードを使った発想だぞ。初演中止というところもかっちょええ。
シュトックハウゼンこそエレクトロと生楽器の融合を爆音でやらかした師匠とせねばであるぞ。と。

2003年10月7日(火) ついにでたか。。

猫語翻訳機ミャウリンガルなるものがついに発売されたらしいと知らせを受けた。うーん。ついにでたか。。まあ買わずともほとんど何を考えているかは解るような気もするのでまあいいかなあとも思う。それより、誰か私のナオリンガルでも作って頂きたいものだぞと。私はどうも本当に心で思っていることをあまり素直に言葉にするのが苦手でついつい毒舌になってしまうのだが、ナオリンガルでも作って頂けたならど〜んなにか毒舌の裏にやさしい心があるかみなさんにわかっていただけるのになあっと。まあそれには私の裏腹な言葉と真実の心を照らし合わせる膨大なデータを収集して頂かなければならないぞと。。。。は〜〜。。ありえないのかなあ。。。っと。
まあ音楽で言葉ではないがこれまた多くを語っているのでいいのかもしれぬ。ぞ。と

2003年10月8日(水) なぜ?

意外とひさびさにR子に会い打ち合わせ後お茶をした。たしか先月NYに行ってたような気がし、どう?と聞くとミュージカルやオペラをたくさん見てよかったという。わたしもNYでしたいことといえば同じだなあっと思いつつ、、、そしてR子はなんとアポロシアターに出演したというから、へ〜〜っと思ったらなぜかダンス部門で阿波踊りを踊ったらしい。。。「なぜ?」と思いつつ。。、まあいろいろあるわね。と。深く考えないようにした。そうそう私は東京以外でどこか住めと言われたら実はヨーロッパのどこでもなくNYなのだ。もちろんセントラルパークを望むアパートメントに住んでの話しなのだが。。。と。

2003年10月9日(木)  分岐点

今日は母のコンサートに日帰りでこっそり前橋まで行ってきた。派手なアフリカのパーカッションとダンスのセッションはまあ予想以上に派手であったが、何よりもプロコフィエフの「つかの間の幻影」をコントラバスとピアノにアレンジしなおしたデュオがとっても心に染みた。「あら、、母はいつのまにかジャズから遠ざかってるなあ」と感じ後で電話で質問してみたらどんぴしゃであった。どうやらジャズ時代は過ぎ去ったようだ。「人は変わるからねえ」と。さあ、、どうなんでしょうか?人は変わるのではなく人は自分の変わらぬ本質に近付くような気もするけどなあ。と。カッコイイもの、流行りのもの、そういうものに振り回されつつ削ぎ落とされてようやく自分の根に戻れるのかもしれないと感じる。振り回されたからこそ、であろうが。。

2003年10月11日(土) 200Hz

合コンで必勝するには男性は200Hzで女性に話し掛けることだそうだ。そんなアホな。。。だが最近ラブラブなFちゃんは確か「もうカレのもしもし〜の電話の声だけでOK なのよね〜」っと。ということはもしや200Hzか。。まあ確かに声が好きかどうかはそのひとの生理的なものを受け付けるかどうかというくらい大きなものかもしれぬ。というのも、私は歌を聴くときほとんど声色を聴いているように感じるからだ。指紋より声紋がそのひとの個人情報を多く表すようにきっとヒトは声から多大な情報を得ているのかもしれぬ。では。。。『写真を見るか、電話で話すか、そのどちらかでオトコを選べ!。。。さて?あなたならどちら?』とかいう二者択一な場合私だったら..うーん。。電話で話して声色を感じるかなあ。。と。まあ職業的に音のほうが確実な選択できるかも。。あ、ちなみに200HZより低い声が好みなんですが。

2003年10月12日(日) ついに!だが。。

座頭市をついに見た。実は以前一度目の前の女で整理番号が終わってしまった苦い経験があったので今日は1時間も前に整理番号もらってから御飯食べて会場へ。それでも定員180中130。。。超満員。前回が終わって頬を紅潮させ「タケシがかっこいいのお!」とか携帯で報告している姉さんまでいるぞ。。へぇ〜〜タケシがねえ。。っとか思いつつ、いざ始まった。ザックザック入墨の男ドモを刀でこれでもかあっとくらいメッタ切り。腕だって灯籠だってスパっとまっ二つだ。まあ感想は一言で言えば痛そうですなあ。。っと。もう一言付け足すならば「ゲロッパ」の圧勝。もう一言付け加えれば、私に音楽を担当させろ。。。かなあ。。っと。。。言ってしまえ。

2003年10月14日(火) 肉、酒、。。。

果たして人間は、はじめ人間ギャートルズのように肉食だったのかなあ?といつも疑問に思う。だがエキオペのNさんも生肉を食べると良く歌ったし、プラネタの打ち上げもしゃぶしゃぶだったし。。。まあ歌手は肉が必須なのかなあ。と思いつつ。。昨年の私って何してなのかなあっとここのHPの日記を見てみたら焼肉食べてジンマシンができてたらしい。。。お〜。。そういえば、まあ私は焼肉なんて年に一回か二回くらいしか食べぬのだがつい最近食べたときは「うめえ」と感じ、次の日もじんましんは出なかった。うーん。。確実にベジタリアンだった日は遠き思いでになりつつあるぞと。だが。。酒はどうか?と言うと、完全に飲まぬ人になりつつある。何処にいってもだいたい水である。食事して相手が飲むひとだと申し訳ないくらいだ。仕事終わって「うめ〜〜!ぐび〜!おりゃあこの瞬間が幸せだよ〜」っとやっているのを見ると羨ましいぞっと、チビっと頂いて飲んでみるが、う。。苦い〜〜ペッペっと。。。何がうまいのかわからんぞ。だ。ふん。

2003年10月15日(水) ケイタイ

「はい。こちらはAU御留守番サービスです。。」と。。やっけにAUはバカ丁寧だ。御留守番。。なんて、普通留守番だよなあ。。といつも思う。お茶碗とか、おさるさんとか。。さてケイタイにメールやカメラが付き、動画も撮れ、ナビまでしてくれちゃって、ケイタイっていったいもう電話じゃないなあと思う。一時mp3とか付いたときもあったがすぐ廃れた。要するにコミュニケーション機能限定なのだ。きっとゲームや映画とかの一人お楽しみ機能は発達せず、キスの写真欲しいぞおっとか、そういう欲望のもとやはりやや下半身めいた機能が発達していくのであろう。うーん。次に付いて欲しい機能はなんであろうか?聴覚、視覚、ときたら嗅覚か。。「今の私の匂い」添付とかかなあ。。着メロならぬ、着臭。とか。。か。。むわ〜〜っとバナナの香りでお知らせする着信なんて素敵かあ。「あ、かきあげさん、さっきケイタイ匂ってましたよ〜〜」とか言われるんだな。。そして添付されてきた匂いをこっそりトイレとかでニヤリと嗅ぐのか。。

2003年10月18日(土) ポワカッツィ

今日は「ポワカッツィ」を見て聴いた。フィリップグラスの音楽を生で演奏しつつ映画を流すというゴージャスな企画だ。もちろん本人もトークしてた(聞かなかった。。)。いやあ。。私はK監督に誘われたのでてっきり客は映像関係者ばっかりかなあっと思いきやどちらかというとコンサートな感じで音楽系な客がブラボーっと言っていた。さて。。感想はというと。。音楽についてばかり考えてしまった。いろいろコムズカシイ訳はあるにしろ、音響的にマズイんではなあ。。っと。なぜ、ブラボーなのか?と。歌っている人はいたのに声は聞こえず、低音がぐわんぐわんで。。。と。これだったら綺麗に録音したものをきちんと整えてからいい音響で流したほうが良いのでは?と疑問を感じた。生にそれほど意味を感じなかったのだ。クラシックの生信仰はいかがなものか。。。ぶつぶつ。
だが、こういう疑問を感じることが自分の次に生きるのだ。と今日はお勉強になりましたぞ。と。

2003年10月21日(火) 乗馬

趣味が私になく、気晴らしが無いのでは?っと是非乗馬を。。っと勧められた。
確かに馬でスタジオに行くのはナカナカかもしれぬ。ハードディスクと鞭を持って。。というのも良い。鞭はただレコーディングにたずさえていくのはちょっとディレクションにはイメージキツイが、馬で来たのならやむを得ぬ。せっかくの良いテイクをアシスタントに消された暁にはビシっと。。。とか使い勝手が良さそうだ。
まあ日本で馬糞はなかなか道路に落ちていないものの、ストックホルムでフェスティバルに出演した時なぞ、会場までにブーツが馬糞まみれになってしまい困ったものであった。そのくらい日常にまだ馬がいるのである。日本だって私が小さいころ軽井沢にはまだ馬に乗っている人が道路に普通にいたもんだった。ところで馬力というのはいまだに基準にされているが、馬のナニを1馬力としているのかなあといつも疑問だ。そう思えば1猫力とかあってもいいのだし、1カキアゲ力とか今のうちに浸透させる努力をしておけば後世になんかの基準になるのかも知れぬ。
さて、趣味は馬乗り。。かあ。。イイかもしれぬぞ。と。

2003年10月23日(木) 特許

小さいころ父は私に「お父さんは特許こそとらなかったけどいろんな発明をしたぞ〜」っといろいろ自慢してた。まず、鼻毛バリカン、あの発想は父のものだと父は言い張っていた。他にもカップヌードルのようなものとか、ギラギラの看板とか。。数限り無い。というわけで鼻毛バリカンを見る度に、特許とっておけば今頃ウハウハだったのになあ。。っとしみじみ思う。今日一緒にお食事をしたYの父は昔新婚さんいらっしゃいという番組の景品の「YESNO枕」で一儲けし、東京のなめ猫に対抗して「かまへんで」というキャラで外し、散財したらしい。(関西人のため)たとえ新婚とはいえ、「YESNO枕」でYESと出されてはたして嬉しいのかどうなのか。。と。私も例えば発明ではないが発想で、「安全日便座」とかあればいいのになあっとナショナルビューティトワレの仕事をしたとき発想してた。朝一に便座に座った時女性の基礎体温が計れ、コンピューター内蔵で記録され安全日がわかる仕組みだ。安全日の時は便器のふたとかにハートマークとか出るとか、なんとか。。さて。。今のうち特許とったほうがいいのかなあ。と。

2003年10月24日(金) Rちゃん

今日はアコーディオンのコバさんのライブをRちゃんと行ってきた。ギターにこの間ベラドンナの時にお世話になった天野さんがいて、なんだか不思議な感じだった。さすがみなさん凄いテクニックですなあっと感想。後、良く食べ良く飲み(Rちゃんのみ)良くお話をした。Rちゃんはイギリス人だからというかRちゃんだからか、グリーンのタータンチェックのドレス(ひきずるような)のを着ていたのが凄い。私なんてどんなオトコとデートでもそこまでしないよなあ。。っと思いつつ。。「階級や今までの伝統を私は守っていきたいのよ。アメ○カ人のようなカッコは嫌よ」と言い放つRちゃんはカッコイイ。さて、、私は何を守るのか?没落した書上家なんぞ守るまでもなし、故郷は群馬だし、、かといってもう東京生活のほうが長いし、、。自分の美意識くらいしかありませんね。さて最近の私の標語は「堕ちてもエレガント」でしたっけね。と。

2003年10月27日(月) Gちゃん

今日はたまたま友人宅で手料理会を開いていたらGちゃんが近所にいるというので呼び寄せた。Gちゃんとは2ヶ月前にイキナリ香港のトップエンジニアの座を捨て東京になんのツテも計画もなく帰って来てしまったのだ。思えばエキオペのときに深夜に徹夜しながら足りないトラックをなんとか工面してキリハリしてくれてたよな〜〜っと付き合いは長い。思わず昔話しをホジクリ返していろいろして爆笑した。
あれから機材もどんどん変わってしまって今はお互いプロツールスな人たちになってしまったが、あの時代はテープをシュルシュル回してた。(子機も。。)だからこそ録音という作業はなかば命がけというか一期一会な気合いがめちゃめちゃ入っていたことは今より間違いない。いいテイクを消そうものなら殴る蹴るの暴行をする人だっていたのだ、(私はしなかった、、と記憶にあります。。)
と、またイイ仕事一緒にできたらいいね。と仲間が戻って来たようで嬉しかったぞ、と。私の場合「音は鎹」で、音で繋がっているひととは縁は切れないのだ。

2003年10月28日(火) 糠床かニーブか。。

何年か前和食に凝りに凝った時期があった。もちろん作ることと食べ歩くことだ。和食とはどんどん和食道のようになってしまって、奥が深過ぎであった。そんな私の趣味はマイ糠床であった。無類の糠漬け好きで、あの発酵して生きているっていうのがたまらなかった。やや実験的な喜びもあっていろいろ試してはひとりヌチョヌチョかき回して臭いに酔っていたものだった。旅行などで離れるときの寂しさと心配は相当のものであった。。っとしみじみ。。
さて私の現在知っているなかで誰より仕事時間が長そうで激多忙で生活臭無しなAはNY帰りなのだが実はNYで糠床をヌチョヌチョしてたことが判明。さらに鮭の塩締メやらなんやらしていたらしい。。これにはちょっと驚いた。しかもるるる〜っとエプロンしていたという。。NYだったからなのかは知らぬ、が。
さて、「あ、オレのウチオレの糠床あるから」と言われるのと、「マッシブアタックの生写真とサインあるから」と言われるのと「状態のいいニーブのタク買ったんだよ」のどの3人オトコの家に吸い寄せられてしまうかといったら、、結構悩むが糠床男かもしれぬ。。ぞ、と。(いや、、Neveか。。)

2003年10月30日(木) 

私の指はカナリ短い。特に小指は生まれたときはオプション?ってくらいヤバかった。さらに親指の爪がヤケに横長だ。今時のテレビくらい、いや、もっと2:8くらいかも知れぬ。まあもし何かのデカイ事故でバラバラになっても片手が落ちてたら「ああかきあげです」と判明できるであろう。中学の美術で手の素描をしたとき「バランスが悪い」と点がいつになく悪かった(美術は大得意)ので先生に実際の手と比べさせいかにリアリズムか!と点数を変えさせた。が。悩みはそんなことではない。ピアノでオクターブが届かぬギリギリなのだ。もちろんリストは弾けない。小指と親指より薬指と親指でオクターブをつかんだほうがまだ力が入った。。自分で思うのもなんだが致命的だった。負けず嫌いなため必死で練習し、きっと普通の10倍かかったのかもしれぬ。まずは小指ぬきでできる運指から考え。。。っと。さてそんな指を今日怪我した。スパっと刃物で切ってしまったのだ。しかも左の薬指(う。大切じゃん!)だ。私はほとんど左手の一発弾きでMIDIの入力しているため作業が止まってしまった。まあ大事に至らず止血したので良かった。ふう。どうも左の薬指には縁がないもんですなあ。。っと。

2003年10月31日(金) エトワール

今日、プラネタの新譜「エトワール」が届いた。いつの時も自分の手掛けた新譜が届くのは「やりとげたな〜〜」っと感慨ひとしおになる。今はもう別のプロジェクトを制作しているのでひさびさに聴くプラネタの歌声にじ〜〜〜んっとひとり秋の午後涙ぐんでしまった。っと雰囲気を壊すかのごとく、これまたちょ〜うどお世話になったエンジニアのπからウチの御近所で打ち合わせをしているとの電話。じゃあっとお互い夜まで時間があったので手渡しにハーレーで出向き、ラスチカスでお茶をした。やはりお互い気になる今後の音の方向性についてああだこうだと論議し、お茶後、いろんな店をふらふらしながらBGMチェックをしてきた。この、いろんな店でのBGMチェックは実は私の貴重なアイデイアとなるので「ぬ?」と思うときは店員に「今のはなんですか?」としつこく訪ねてはメモって帰ってくるのだ。ふふ。今日はπも気付いていたが意外な意外な共通点をみいだしたのであった。結果はまあいつかの曲に反映されるでしょうぞ、と。

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